ではない。頭はあげても顔見合すこともできず、ただ手をとり合うているばかりである。
「省さん、わたしは嬉《うれ》しい」
 ようよう一こと言ったが、おとよはまた泣き伏すのである。
「省さん、あとから手紙で申し上げますから、今夜は思うさま泣かしてください」
 しどろもどろにおとよは声を呑《の》むのである。省作はとうとう一語も言い得ない。
 悲しくつらく玉の緒も断えんばかりに危《あやう》かりし悲惨を免れて僅《わず》かに安全の地に、なつかしい人に出逢《でお》うた心持ちであろう。限りなき嬉しさの胸に溢《あふ》れると等しく、過去の悲惨と烈《はげ》しき対照を起こし、悲喜の感情相混交して激越をきわむれば、だれでも泣くよりほかはなかろう。
 相思の情を遂げたとか恋の満足を得たとかいう意味の恋はそもそも恋の浅薄なるものである。恋の悲しみを知らぬ人には恋の味は話せない。
 泣いて泣いて泣きつくして別れた二人には、またとても言い表すことのできない嬉しさを分ち得たのである。

      五

 翌晩省作からおとよの許《もと》に手紙がとどいた。
「前略お互いに知れきった思いを今さら話し合う必要もないはずですが、何だかわたしはただおとよさんの手紙を早く見たくてならない、わたしの方からも一刻も早く申し上げたいと存じて筆を持っても、何から書いてよいか順序が立たないのです。
 昨夜は実に意外でした、どうせしみじみと話のできる場合ではないですけれど、少しは話もしたかったし、それにわたしはおとよさんを悦《よろこ》ばせる話も持っていたのです、溜《たま》りに溜った思いが一時に溢れたゆえか、ただおどおどして咽《む》せて胸のうちはむちゃくちゃになって、何の話もできなく、せっかくおとよさんを悦ばせようと思ってた話さえ、思いださずにしまったは、自分ながら実に意外でした、しかしながら胸いっぱいにつかえて苦しくて堪《たま》らなかった思いを、二人で泣いて一度に泣き流したのですからあとの愉快さは筆にはつくせません、これはおとよさんも同じことでしょう。昨夜おとよさんに別れて帰るさの愉快は、まるで体が宙を舞って流れるような思いでした。今でもまだ体がふわふわ浮いてるような思いでおります。わたしのような仕合せなものはないと思うと嬉しくて嬉しくて堪りません。
 これから先どういうふうにして二人が一緒になるかの相談はいずれまた逢《あ》っての上にしましょう。あなたを悦《よろこ》ばせようと申した事は、母や姉は随分不承知なようですが、肝心な兄は、「お前はおとよさんと一緒になると決心しろ」と言うてくれたのです。兄は元からおとよさんがたいへん気に入りなのです。もう私の体はたいした故障もなくおとよさんのものです。ですから私の方は、今あせって心配しなくともよいです。それに二人について今世間が少しやかましいようですから、ここしばらく落ちついて時を待ちましょう。それにしてもおとよさんにはまたおとよさんの考えがありましょう。おうちの都合はどんなふうですかそれも聞きたいし、わたしはおとよさんの手紙を早く見たい」
 省作の手紙はどこまでも省作らしく暢気《のんき》なところがある。そのまた翌日おとよから省作に手紙をだした。
「わたしから先にと思いましたに、まずあなた様よりのお手紙で、わたしは酔わされてしまいました。出しては読み出しては読み、差し上げる手紙を書く料簡《りょうけん》もなく、昨夜|一《ひと》ばん埒《らち》もなく過ごしました。先夜はほんとに失礼いたしました。ただ悲しくて泣いた事を夢のように覚えてるばかり、ほかの事は何も覚えていません。あとであんまり失礼であったと思いました。それもこれも悲しさ嬉《うれ》しさ一度に胸にこみ合い止め度なくなったゆえとおゆるし下されたく、省さま、わたしはこの頃《ごろ》無《む》しょうと気が弱くなりました。あなたさまの事を思えばすぐ涙が出ますの。それにつけてもありがたいお兄様のおことば、あなたさまの方はそれで安心ができます。
 わたしの考えには深田の手前秋葉(清六の家)の手前あなたのお家にしてもわたしの家にしても、私ども二人が見すぼらしい暮しを近所にしておったでは、何分世間が悪いでしょう、して見れば二人はどうしても故郷を出退《での》くほかないと思います。精《くわ》しくはお目にかかっての事ですが、東京へ出るがよいかと思います。
 それにつけてもわたしの家ですが、御承知のとおり親父《おやじ》はまことに片意地の人ですから、とてもわたしの言うことなどは聞いてくれそうもありませぬ。それに昨今どうやらわたしの縁談ばなしがある様子に見えます。また間違いの起こらぬうちに早くというような事をちらと聞きました、なんという情けない事でしょう。省さんが一人の時分にはわたしに相手があり、わたしが一人になれば省さんに相手がある、今度ようやく二人がこうと思えば、すぐにわたしの縁談、わたしは身も世もあらぬ思い、生きた心はありません。
 けれども省様、この上どのような事があろうとわたしの覚悟は動きませぬ。体はよし手と足と一つ一つにちぎりとらるるともわたしの心はあなたを離れませぬ。
 こうは覚悟していますものの、いよいよ二人一緒になるまでには、どんな艱難《かんなん》を見ることか判《わか》りませぬ。何とぞわたしの胸の中を察してくださいませ。常にも似ず愚痴ばかり申し上げ失礼いたし候《そうろう》。こんな事申し上ぐるにも心は慰み申し候。それでも省さまという人のあるわたし、決して不仕合せとは思いませぬ」

 種まきの仕度で世間は忙しい。枝垂柳《しだれやなぎ》もほんのり青みが見えるようになった。彼岸桜《ひがんざくら》の咲くとか咲かぬという事が話の問題になる頃は、都でも田舎《いなか》でも、人の心の最も浮き立つ季節である。
 某《なにがし》の家では親が婿を追い出したら、娘は婿について家を出てしまった、人が仲裁して親はかえすというに今度は婿の方で帰らぬというとか、某の娘は他国から稼《かせ》ぎに来てる男と馴《な》れ合って逃げ出す所を村界《むらざかい》で兄に抑《おさ》えられたとか、小さな村に話の種が二つもできたので、もとより浮気ならぬ省作おとよの恋話も、新しい話に入りかわってしまった。

      六

 珊瑚樹垣《さんごじゅがき》の根には蕗《ふき》の薹《とう》が無邪気に伸びて花を咲きかけている。外の小川にはところどころ隈取《くまど》りを作って芹生《せりふ》が水の流れを狭《せば》めている。燕《つばめ》の夫婦が一つがい何か頻《しき》りと語らいつつ苗代《なわしろ》の上を飛《と》び廻《まわ》っている。かぎろいの春の光、見るから暖かき田圃《たんぼ》のおちこち、二人三人組をなして耕すもの幾組、麦冊《むぎさく》をきるもの菜種に肥《こえ》を注ぐもの、田園ようやく多事の時である。近き畑の桃の花、垣根の端の梨《なし》の花、昨夜の風に散ったものか、苗代の囲《まわ》りには花びらの小紋が浮いている。行儀よく作られた苗坪ははや一寸ばかりの厚みに緑を盛り上げている。燕の夫婦はいつしか二つがいになった、時々緑の短冊に腹を擦《す》って飛ぶは何のためか。心|長閑《のどか》にこの春光に向かわば、詩人ならざるもしばらく世俗の紛紜《ふんうん》を忘れうべきを、春愁堪え難き身のおとよは、とても春光を楽しむの人ではない。
 男子家にあるもの少なく、婦女は養蚕の用意に忙しい。おとよは今日の長閑《のどか》さに蚕籠《こかご》を洗うべく、かつて省作を迎えた枝折戸《しおりど》の外に出ているのである。抑え難き憂愁を包む身の、洗う蚕籠には念も入らず、幾度も立っては田圃の遠くを眺めるのである。ここから南の方へ十町ばかり、広い田圃の中に小島のような森がある、そこが省作の村である。木立《こだち》の隙間から倉の白壁がちらちら見える、それが省作の家である。
 おとよは今さらのごとく省作が恋しく、紅涙|頬《ほお》に伝わるのを覚えない。
「省さんはどうしているかしら、手紙のやりとりばかりで心細くてしようがない。こうしてお家も見えているのに、兄さんは、二人一緒になると決心しろって、今でもそう思ってて下さるのかしら」
 おとよは口の底でこういって省作の家を見てるのである。縁談の事もいよいよ事実になって来たらしいので、おとよは俄《にわ》かに省作に逢《あ》いたくなった。逢って今さら相談する必要はないけれど、苦しい胸を話したいのだ。十時も過ぎたと思うに蚕籠《こかご》はまだいくつも洗わない。おとよは思い出したように洗い始める。格好のよい肩に何かしらぬ海老色《えびいろ》の襷《たすき》をかけ、白地の手拭《てぬぐい》を日よけにかぶった、顋《あご》のあたりの美しさ。美しい人の憂えてる顔はかわいそうでたまらないものである。
「おとよさんおとよさん」
 呼ぶのは嫂《あによめ》お千代だ。おとよは返辞をしない。しないのではない、できないのだ。何の用で呼ぶかという事は解《わか》ってるからである。
「おとよさん、おとッつさんが呼んでいますよ」
 枝折戸《しおりど》の近くまで来てお千代は呼ぶ。
「ハイ」
 おとよは押し出したような声でようやくのこと返辞をした。十日ばかり以前から今日あることは判《わか》っているから充分の覚悟はしているものの、今さらに腹の煮え切る思いがする。
「さあおとよさん、一緒にゆきましょう」
 お千代は枝折戸の外まできて、
「まあえい天気なこと」
 お千代は気楽に田圃《たんぼ》を眺めて、ただならぬおとよの顔には気がつかない。おとよは余儀なく襷をはずし手拭を採《と》って二人一緒に座敷へ上がる。待ちかねていた父は、ひとりで元気よくにこにこしながら、
「おとよここへきてくれ、おとよ」
「ハア」
 おとよは平生《へいぜい》でも両親に叮嚀《ていねい》な人だ、ことに今日は話が話と思うものから一層改まって、畳二畳半ばかり隔てて父の前に座した。紫檀《したん》の盆に九谷《くたに》の茶器|根来《ねごろ》の菓子器、念入りの客なことは聞かなくとも解る。母も座におって茶を入れ直している。おとよは少し俯向《うつむ》きになって膝《ひざ》の上の手を見詰めている。平生顔の色など変える人ではないけれど、今日はさすがに包みかねて、顔に血の気《け》が失せほとんど白蝋《はくろう》のごとき色になった。
 自分ひとりで勝手な考えばかりしてる父はおとよの顔色などに気はつかぬ、さすがに母は見咎《みとが》めた。
「おとよ、お前どうかしたのかい、たいへん顔色が悪い」
「ええどうもしやしません」
「そうかい、そんならえいけど」
 母は入れた茶を夫のと娘のと自分のと三つの茶碗《ちゃわん》についで配り、座についてその話を聞こうとしている。
「おとよ、ほかの事ではないがの、お前の縁談の事についてはずれの旦那《だんな》が来てくれて今帰られたところだ。お前も知ってるだろう、早船の斎藤《さいとう》よ、あの人にはお前も一度ぐらい逢った事があろう、お互いに何もかも知れきってる間だから、誠《まこと》に苦《く》なしだ。この月初めから話があっての、向うで言うにゃの、おとよさんの事はよく知ってる、ただおとよさんが得心《とくしん》して来てくれさえすれば、来た日からでも身上《しんしょう》の賄《まかな》いもしてもらいたいっての、それは執心な懇望よ、向うは三度目だけれどお前も二度目だからそりゃ仕方がない。三度目でも子供がないから初縁も同じだ。一度あんな所へやってお前にも気の毒であったから、今度は判《わか》ってるが念のために一応調べた。負債などは少しもない、地所はうちの倍ある。一度は村長までした人だし、まあお前の婿にして申し分のないつもりじゃ。お前はあそこへゆけばこの上ない仕合せとおれは思うのだ。それでもう家じゅう異存はなし、今はお前の挨拶《あいさつ》一つできまるのだ。はずれの旦那はもうちゃんときまったようなつもりで帰られた。おとよ、よもやお前に異存はあるまいの」
 おとよは人形のようになってだまってる。
「おとよ、異存はねいだの。なに結構至極《けっこうしごく》な所だからきめてしまってもよいと思ったけど、お
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 左千夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング