》ばかりであったらば、こうはゆかなかったかもしれない。そこにお千代という、はさまりものがあって、一方には邪魔なようなところもあるが、一面にはそれがためにうまく調子がとれて、極端に陥らなかったため、思ったよりも今日の遊びが愉快になった。初めはお千代の暢気《のんき》が目についたに、今は三人やや同じ程度に暢気になった。しかしながら省作おとよの二人には別に説明のできない愉快のあるはもちろんである。物の隅々に溜《たま》っていた塵屑《ちりくず》を綺麗《きれい》に掃き出して掃除《そうじ》したように、手も足も頭もつかえて常に屈《かが》まってたものが、一切の障《さわ》りがとれてのびのびとしたような感じに、今日ほど気の晴れた事はなかった。
 御蛇《おんじゃ》が池《いけ》にはまだ鴨《かも》がいる。高部《たかべ》や小鴨や大鴨も見える。冬から春までは幾千か判《わか》らぬほどいるそうだが、今日も何百というほど遊んでいる。池は五、六万坪あるだろう、ちょっと見渡したところかなり大きい湖水である。水も清く周囲の岡《おか》も若草の緑につつまれて美しい、渚《なぎさ》には真菰《まこも》や葦《あし》が若々しき長き輪郭を池に作っ
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