この三月は、変化多き世の中にもちょっと例の少ない並ならぬ三月であった。
身も心も一つと思いあった二人が、全くの他人となり、しかも互いに諦《あきら》められずにいながら、長く他人にならんと思いつつ暮した三月である。
わが命はわが心一つで殺そうと思えば、たしかに殺すことができる。わが恋はわが心一つで決して殺すことはできない。わが心で殺し得られない恋を強《し》いて殺そうとかかって遂《つい》に殺し得られなかった三月である。
しかしながら三月の間は長く感じたところで数は知れている。人の夫とわが夫との相違は数をもっていえない隔たりである。相思の恋人を余儀なく人の夫にして近くに見ておったという悲惨な経過をとった人が、ようやく春の恵みに逢《お》うて、新しき生命を授けられ、梅花月光の契りを再びする事になったのはおとよの今宵《こよい》だ。感きわまって泣くくらいのことではない。
おとよはただもう泣くばかりである。恋人の膝《ひざ》にしがみついたまま泣いて泣いて泣くのである。おとよは省作の膝《ひざ》に、省作はおとよの肩に互いに頭をつけ合って一時間のその余も泣き合っていた。
もとより灯《あかり》のある場合
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