わ」
 話は随分長かったが、要するに覚束《おぼつか》ない結局に陥ったのである。これからどうしてもおとよの話に移る順序であれど、日影はいつしかえん側をかぎって、表の障子をがたぴちさせいっさんに奥へ二人《ふたり》の子供が飛びこんできた。
「おばあさんただいま」
「おばあさんただいま」
 顔も手も墨だらけな、八つと七つとの重蔵《しげぞう》松三郎が重なりあってお辞儀《じぎ》をする。二人は起《た》ちさまに同じように帽子をほうりつけて、
「おばあさん、一銭おくれ」
「おばあさん、おれにも」
 二人は肩をおばあさんにこすりつけてせがむのである。
「さあ、おじさんが今日はお菓子を買ってやるから、二人で買ってきてくれ、お前らに半分やる」
 二童《ふたり》は銭を握って表へ飛び出る。省作は茶でも入れべいと起《た》った。

      二

 翌朝、省作はともかくも深田に帰った。帰ったけれども駄目《だめ》であった。五日ばかりしてまた省作は戻ってきた。今度はこれきりというつもりで、朝早く人顔の見えないうちに、深田の家を出たのである。
 母は折角《せっかく》言うていったんは帰したものの、初めから危ぶんでいたのだから、再び出てきたのを見ては、もうあきらめて深く小言《こごと》も言わない。兄はただ、
「しようがないやつだなあ」
 こう一言《ひとこと》言ったきり、相変らず夜は縄をない昼は山刈りと土肥作りとに側目《わきめ》も振らない。弟を深田へ縁づけたということをたいへん見栄《みえ》に思ってた嫂《あによめ》は、省作の無分別をひたすら口惜《くや》しがっている。
「省作、お前あの家にいないということがあるもんか」
 何べん繰り返したかしれない。頃《ころ》は旧暦の二月、田舎《いなか》では年中最も手すきな時だ。問題に趣味のあるだけ省作の離縁話はいたるところに盛んである。某々がたいへんよい所へ片づいて非常に仕合せがよいというような噂《うわさ》は長くは続かぬ。しかしそれが破縁して気の毒だという場合には、多くの人がさも心持ちよさそうに面白く興がって噂するのである。あんまり仕合せがよいというので、小面憎《こづらにく》く思った輩《やから》はいかにも面白い話ができたように話している。村の酒屋へ瞽女《ごぜ》を留めた夜の話だ。瞽女の唄《うた》が済んでからは省作の噂で持ち切った。
「省作がいったいよくない。一方の女を思い切らないで、人の婿になるちは大の不徳義だ、不都合きわまった話だ。婿をとる側になってみたまえ、こんなことされて堪《たま》るもんか」
 こう言うのは深田|贔屓《びいき》の連中だ。
「そうでないさ、省作だって婿になると決心した時には、おとよの事はあきらめていたにきまってるさ。第一省作が婿になる時にゃ、おとよはまだ清六の所にいたじゃないか。深田も懇望してもらった以上は、そんな過ぎ去った噂なんぞに心動かさないで大事にしてやれば、省作は決して深田の家を去るのではない。だからありゃ深田の方が悪いのだ。何も省作に不徳義なこたない」
 これは小手|贔屓《びいき》の言うところだ。
「えいも悪いもない、やっぱり縁のないのだよ。省作だって、身上《しんしょう》はよし、おつねさんは憎《にく》くなかったのだから、いたくないこともなかったろうし、向うでも懇望したくらいだからもとより置きたいにきまってる、それが置けなくなりいられなくなったのだから、縁がないのさ」
 こんなこというは婆と呼ばれる酒屋の内儀《おかみ》だ。
「みんな省さんが悪いんさ、ほんとに省さんは憎いわ。省さんはあんなえい人だからおとよさんがどうしてもあきらめられない、おとよさんがあきらめねけりゃ、省さんは深田にいられやしない。深田のおッ母さんはたいへんおとよさんを恨んでるっさ。おつねさんもね、実は省さんを置きたかったんだって、それだから、省さんが出たあとで三日寝ていたっち話だ。わたしゃほんとにおつねさんがかわいそうだわ、省さんはほんとに憎いや」
 これは女側から出た声だ。
「なんだいべらぼう、ほめるんやらくさすんやら、お気の毒さま、手がとどかないや。省さんほんとに憎いや、もねいもんだ」
「そんなに言うない。おはまさんなんかかわいそうな所があるんだアな、同病|相憐《あいあわれ》むというんじゃねいか、ハヽヽヽヽヽ」
「あん畜生、ほんとにぶちのめしてやりたいな」
「だれを」
「あの野郎をさ」
「あの野郎じゃわからねいや」
「ばかに下等になってきたあな、よせよせ」
 おはまがいるから、悪口もこのくらいで済んだ。おはまでもいなかったら、なかなかこのくらいの悪口では済まない。省作の悪口を言うとおはまに憎がられる、おはまには悪くおもわれたくないてあいばかりだから、話は下火になった。政公の気焔《きえん》が最後に振《ふる》っている。
「おらも婿だが、昔から譬《
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