とがおりおりありまして、あああれはつれあいをとられたのだなどいうことがすぐ分ります。感心なものでございます」
この話を聞いておとよも省作も涙の出でんばかりに感じたが、主が席を去るとおとよは堪《たま》りかね、省作と自分とのこの先に苦労の多かるべきをいい出《い》でて嘆息する。お千代も省作に向って、
「省さんも御承知ではありましょうが、斎藤の一条から父はたいへんおとよさんを憎んで、いまだに充分お心が解けないもんですから、それはそれはおとよさんの苦労心配は一通りの事ではなかったのです。今だって父の機嫌《きげん》がなおってはいないです。おとよさんもこんなに痩《や》せっちゃったんですから、かわいそうで見ていられないから、うちと相談してね、今日の事をたくらんだんです。随分あぶない話ですが、あんまりおとよさんがかわいそうですから、それですから省さん今夜は二人でよく相談してね、こうということをきめてください。おまえさんら二人の相談がこうときまれば、うちでも父へなんとか話のしようがあるというんですから、ねい省さん」
省作も話下手《はなしべた》な口でこういった。
「お千代さん、いろいろ御親切に心配してくださって、いくらありがたく思ってるかしれやしません。私は晴れておとよさんの顔を見るのは四か月ぶりです。痩せた痩せたというけど、こんなに痩せたとは思わなかったです、さっき初めて妙泉寺で逢《あ》って私は実際驚いた。私はもう五、六日のうちに東京へいくと決心したんです、お千代さんもおとよさんも安心してください、うちの兄はこういうんですから。
省作、おとよさんはどういう気でいる、お前の決心はどうだ。おれの覚悟はいつかも話したように、ちゃんときまってるど。お前の決心一つでおれはいつでもえい。この間おッ母《か》さんにも話しておいた。
それから私がこれこれだと話すと、うんそりゃよかろう、若いものがうんと骨折るにゃ都会がえい、おれは面目《めんぼく》だのなんぼくだのということは言わんがな、そりゃ東京の方が働きがいがあるさ。それじゃそうと決心して、なるたけ早く実行することにしろ。それからお前にいうておくことがある、おれにもたいした事はできんけれど、おれも村の奴《やつ》らに欲が深い深いといわれたが、そのお蔭《かげ》で五、六年|丹精《たんせい》の結果が千五百円ばかりできてる。これをお前にやる分にゃ先祖の財産へ手を付けんのだから、おれの勝手だ。お前もそんつもりでな、東京で何か仕事を覚えろ……おとよさんのおとッつさんが、むずかしい事をいうのも、つまりわが子|可愛《かわい》さからの事に違いあんめいから、そりゃそのうちどうにかなるよ、心配せんで着々実行にかかるさ。
兄はこう言うんですから、私の方は心配ないです。佐介さんにお千代さんから、よくそう申してください、おとッつさんの方も何分頼みます」
お千代は平生《へいぜい》妹ながら何事も自分より上手《うわて》と敬しておったおとよに対し、今日ばかりは真の姉らしくあったのが、無上《むしょう》に嬉《うれ》しい。
「それではもうおとよさん安心だわ。これからはおとッつさん一人《ひとり》だけですから、うちでどうにか話するでしょう。今日はほんとに愉快であったわねい」
「ほんとにお千代さん、おとッつさんをいつまでああして怒《おこ》らしておくのは、わたしは何ほどつらいかしれないわ。おとッつさんの言う事にちっとも御無理はないんだから、どうにかしておとッつさんの機嫌《きげん》を直したい、わたしは……」
「そりゃ私だっておとよさんの苦心は充分察してるのさ」
省作はお千代とおとよの顔を見比べて、
「お千代さん、おとよさんは少し元のおとよさんと違ってきたね」
「どう違うの」
「元はもっと、きっぱりとしていて、今のように苦労性でなかったよ。近頃はばかに気が弱くなった、おとよさんは」
おとよは、長くはっきりした目に笑《え》みを湛《たた》えてわきを見ている。
「それも省さんがあんまりおとよさんに苦労さしたからさ」
「そんな事はねい、私はいつでもおとよさんの言いなりだもの」
「まあ憎らしい、あんなこといって」
「そんなら省さん、なで深田へ養子にいった」
お千代はこう言ってハヽヽヽヽと笑う。
「それもおとよさんが行けって言ったからさ」
「もうやめだやめだ、こんなこといってると、鴨《かも》に笑われる。おとよさん省さん、さあさあ蛇王様へ詣《まい》ってきましょう」
三人はばたばた外へ出る。池の北側の小路《こみち》を渚《なぎさ》について七、八町|廻《まわ》れば養安寺村である。追いつ追われつ、草花を採ったり小石を拾って投げたり、蛇がいたと言っては三人がしがみ合ったりして、池の岸を廻ってゆく。
「省さん、蛇王様はなで皹《あかぎれ》の神様でしょうか」
「なでだか神様のこた
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