屋さん、今朝《けさ》佐介さんからあらまし聞いたんだが、一体おとよさんをどうする気かね」
「どうもしやしない、親不孝な子を持って世間へ顔出しもできなくなったから、少し小言《こごと》が長引いたまでだ。いや薊さん、どうもあなたに面目次第もない」
「土屋さんあなたは、よく理屈を言う人だから、薊も今夜は少し理屈を言おう。私は全体理屈は嫌いだが、相手が、理屈屋だから仕方がねい。おッ母さんどうぞお酌《しゃく》を……私は今夜は話がつかねば喧嘩《けんか》しても帰らねいつもりだからまあゆっくり話すべい」
片意地な土屋老人との話はせいてはだめだと薊は考えてるのだ。
「土屋さん、あなたが私に対して面目次第もないというのが、どうも私には解んねい。斎藤との縁談を断わったのが、なぜ面目ないのか、私は斎藤から頼まれて媒妁人《なこうど》となったのだから、この縁談は実はまとめたかった。それでも当の本人が厭《いや》だというなら、もうそれまでの話だ。断わるに不思議はない、そこに不面目もへちまもない」
「いや薊《あざみ》、ただ斎藤へ断わっただけなら、決して面目ないとは思わない。ないしょ事の淫奔《いたずら》がとおって、立派な親の考えがとおせんから面目がない。あなたも知ってのとおり、あいつは親不孝な子ではなかったのだがの」
「少し待ってください。あなたは無造作に浮奔《いたずら》だの親不孝だと言うが、そこがおれにゃ、やっぱり解《わか》んねい。おとよさんがなで親不孝だ、おとよさんは今でも親孝行な人だ、私がそういうばかりではない、世間でもそういってる。私の思うにゃあなたがかえって子に不孝だ」
「どこまでも我儘《わがまま》をとおして親のいうことに逆らうやつが親不孝でないだろか」
「親のいうことすなわち自分のいうことを、間違いないものと目安をきめてかかるのがそもそも大間違いのもとだ。親のいうことにゃ、どこまでも逆らってならぬとは、孔子《こうし》さまでもいっていないようだ。いくら親だからとて、その子の体まで親の料簡《りょうけん》次第にしようというは無理じゃねいか、まして男女間の事は親の威光でも強《し》いられないものと、神代の昔から、百里隔てて立ち話のできる今日《こんにち》でも変らぬ自然の掟《おきて》だ」
「なによ、それが淫奔事《いたずらごと》でなけりゃ、それでもえいさ。淫奔をしておって我儘をとおすのだから不埒《ふらち》な
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