こんな事になるならば、おとよはより早く、省作と一緒になる目的をもって清六の家を去ればよかった。そうすれば省作も人の養子などにいく必要もなく、無垢《むく》な少女おつねを泣かせずにも済んだのだ。この解《わか》り切った事を、そうさせないのが今の社会である。社会というものは意外《おもいのほか》ばかなことをやっている。自分がその拘束に苦しみ切っていながら、依然として他を拘束しつつある。
四
土屋の家では、省作に対するおとよの噂《うわさ》も、いつのまにか消えたので大いに安心していたところ、今度省作が深田から離縁されて、それも元はおとよとの関係からであると評判され、二人《ふたり》の噂は再び近村|界隈《かいわい》の話し草になったので、家じゅう顔合せて弱ってる。おとよの父は評判のむずかしい人であるから、この頃は朝から苦虫《にがむし》を食いつぶしたような顔をしている。おとよの母に対しては、これからは、あのはまのあまなんぞ寄せつけてはならんぞとどなった。
おとよはそれらの事を見ぬふり聞かぬふりで平気を装うているけれど、内心の動揺は一通りでない。省作がいよいよ深田を出てしまったと、初めて聞いた夜はほとんど眠らなかった。
思慮に富めるおとよは早くも分別してしまった。自分にはとても省さんを諦《あきら》められない。諦められないことは知れていながら、余儀ないはめになって諦めようとしたものの駄目《だめ》であったのだから、もうどうしたって諦められはしない。今が思案の定《き》め時《どき》だ。ここで覚悟をきめてしまわねば、またどんな事になろうも知れない。省さんの心も大抵知れてる、深田にいないところで省さんの心も大抵知れてる。おとよはひとりでにっこり笑って、きっぱり自分だけの料簡《りょうけん》を定《き》めて省作に手紙を送ったのである。
省作はもとより異存のありようがない、返事は簡単であった。
深田にいられないのもおとよさんゆえだ。家に帰って活《い》き返ったのもおとよさんゆえだ。もう毛のさきほども自分に迷いはない。命の総《すべ》てをおとよさんに任せる。
こういう場合に意志の交換だけで、日を送っていられるくらいならば、交換したことばは偽りに相違ない。抑《おさ》えられた火が再び燃えたった時は、勢い前に倍するのが常だ。
そのきさらぎの望月《もちづき》の頃に死にたいとだれかの歌がある。こ
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