った心持だけは未《いま》だに忘れない。お松は翌朝自分の眠ってる内に帰ったらしかった。
 其後自分は両親の寝話に「児供の余り大きくなるまで守りを置くのは良くない事だ」などと話してるのを聞いたように覚えてる。姉は頻《しき》りに自分にお松を忘れさせるようにいろいろ機嫌をとったらしかった。母はそれから幾度か、ねえやの処《ところ》へ一度つれてゆくつれてゆくと云った。
 自分が母につれられてお松が家の庭へ這入《はい》った時には、梅の花が黒い湿った土に散っていた。往来から苅葺《かりぶき》のかぶった屋根の低い家が裏まで見透かされるような家であった。三時頃の薄い日影が庭半分にさしていて、梅の下には蕗《ふき》の薹《とう》が丈高くのびて白い花が見えた。庭はまだ片づいていてそんなに汚くなかった。物置も何もなく、母家一軒の寂しい家であった。庭半分程這入って行くと、お松は母と二人で糸をかえしていて、自分達を認めると直ぐ「あれまア坊さんが」と云って駈け降りて来た。お松の母も降りて来た。「良くまア坊さんきてくれたねえ」と云って母子して自分達を迎えた。自分は少しきまりが悪かった。母の袖の下へ隠れるようにしてお松の顔を見
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