と》振りかえって見たら、お松は軒口に立って自分を見送ってたらしかった。其時自分は訳もなく寂しい気持のしたことを覚えて居る。
 お昼に帰って来た時にはお松は居なかった。自分はお松は使にでも行ったことと思って気にもしなかった。日暮になってもお松は居なかった。毎晩のように竈《かまど》の前に藁把《わらたば》を敷いて自分を暖まらしてくれた、お松が居ないので、自分は始めてお松はどうしたのだろうかと思った。姉がせわしなく台所の用をしながら、遠くから声を掛けてあやしてくれたけれど、いつものように嬉しくなかった。
 夕飯の時に母から「お前はもう大きくなったからお松は今年きりで今日家へ帰ったのだよ、正月には年頭に早く来るからね」と云われて自分は平気な風に汁掛飯を音立てて掻込《かきこ》んでいたそうである。
 正月の何日頃であったか、表の呉縁《くれえん》に朝日が暖くさしてる所で、自分が一人遊んで居ると、姉が雑巾がけに来て「坊やはねえやが居なくても姉さんが可愛がってあげるからね」と云ったら「ねえやなんか居なくたってえいや」と云ってたけれど、目には涙を溜《た》めてたそうである。
 正月の十六日に朝早くお松が年頭に
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