いる。町の家の峯をかけ、岡の中腹を横に白布をのしたように炊《かし》ぎの煙が、わざとらしくたなびいている。岡の東端ひときわ木立《こだち》の深いあたりに、朱塗《しゅぬ》りの不動堂がほんのりその木立の上に浮きだしている。子どもたちはいつのまか遠く予を置いて、蝗《いなご》を追ってるらしく、畔豆《あぜまめ》の間に紅黄のりぼんをひらつかせつつ走ってる。予は実にこの光景に酔った。
 むかし家におったころに毎日出あるいた田んぼ道、朝に晩にながめたこの景色、おもむきは昔の記憶に少しも変わらないが、あまたの子持ちとなった今のわが目には特別な意味を感ぜぬわけにゆかぬ。昔日《せきじつ》のことが夢でなくて、今の現在がかえって夢のように思われてならない。老いさらぼいた姉、ぽうんとした兄、暗寂たる家のようす。それから稲の葉ずえに露の玉を見る、静かに美しい入り日のさまは、どうしても、今の現在が夢としか思われない。
 ものさびしいうちに一種の興味を感じつつもその愉快な感じのうちには、何となしはかなく悲しく、わが生の煙にひとしき何もかも夢という思念が、潮《うしお》と漲《みな》ぎりくるを感ずるのである。
 ぼんやり立ちつくした予は足もとの暗くなったのもおぼえなかった。
「お父さん、もう帰ろうよお父さん」
 とふたりの子に呼び立てられ、はじめてわれに帰った。裏口より竈屋《かまや》のほうへまわると兄は鯰を料理していた。予はよほど神経疲労したものか、兄が鯰を切ってそのうす赤い血を洗ってる光景までがどうしても現実とは思えない。ふたたび子どもにうながされてようやく座敷へ上がる。姉はばさばさ掃き立てている。洋燈《ランプ》が煌々《こうこう》として昼のうす暗かった反対に気持ちがよい。
 この夜も姉は予と枕をならべて寝る。姉は予がくるたびにいつでもそうであるのだ。田畑のできばえのことから近隣村内のできごとや、親類のいざこざまで、おもしろかったこと、つまらなかったこと、いまいましくて残念であったことなどのいっさいを予に話して聞かせる。予がそれ相当な考えをいうて相手になるものから、姉はそれがひじょうに楽しみらしい。姉はおもしろかったことも予に話せばいっそうおもしろく、残念な口惜しいことなどは、予に話せばそれでおおいに気分がよくなるのだ。極端にのん気な酒飲みな夫をもった姉は、つねにしんみりした話に飢えている。予はずいぶんそのらちもなき話に閉口するときがあるけれど、生まれるとから手にかけた予をなつかしがっていると思うてはいつでもその気で相手になる。姉も年をとったなと思うと気の毒な思いが先で、予は自分をむなしくして姉に満足を与える気になる。とうとう一時過ぎまでふたりは話をした。兄がひと寝入りして目を覚まし、お前たちまだ話しているのかと驚いたほどである。多くの話のうちに明日行くべきお光《みつ》さんに関しての話はこうであった。
「お前はどういう気でにわかにお光が所へ行く気になったえ」
「どういう気もないです。お光さんから東京からもきてくれんければ、こちらからも東京へいって寄れないからなぞというてきたからです」
「そんならえいけれどね。お前にあれをもらってくれまいかって話のあったとき、少しのことで話はまとまらなかったものの、お前もあれをほしかったことは、向こうでもよく知っているから、東京の噂はよく出たそうだよ。それにあれもいまだに子どもがないから、今でもときどき気もみしてるそうだ。身上《しんじょう》はなかなかえいそうだけれど、あれもやっぱりかわいそうさ。お前にそうして子どもをつれてゆかれたら、どんな気がするか」
「そんなこと考えると少しおかしいけれど、それはひとむかし前のことだから、ただ親類のつもりで交際すればえいさ」
 予は姉には無造作《むぞうさ》に答えたものの、奥の底にはなつかしい[#「なつかしい」は底本では「なっかしい」]心持ちがないではない。お光さんは予には従姉《いとこ》に当たる人の娘である。
 翌日は姉夫婦と予らと五人つれ立って父の墓参をした。母の石塔《せきとう》の左側に父の墓はまだ新しい。母の初七日《しょなぬか》のおり境内へ記念に植えた松の木杉の木が、はや三尺あまりにのびた、父の三年忌には人の丈《たけ》以上になるのであろう。畑の中に百姓屋めいた萱屋《かやや》の寺はあわれにさびしい、せめて母の記念の松杉が堂の棟《むね》を隠すだけにのびたらばと思う。
 姉がまず水をそそいで、皆がつぎつぎとそそぐ。線香と花とを五つに分けて母の石塔にまで捧げた。姉夫婦も無言である、予も無言である。
「お父さんわたいお祖父《じい》さん知ってるよ、腰のまがった人ねい」
「一昨年《おととし》お祖父さんが家へきたときに、大きい銀貨一つずつもらったのをおぼえてるわ」
「お父さん、お祖父さんどうして死んだの」
「年をとったからだよ」
「年をとるとお父さんだれでも死ぬのかい」
「お父さん、お祖母《ばあ》さんもここにいるの」
「そうだ」
 予は思わずそう邪険《じゃけん》にいって帰途につく。兄夫婦も予もなお無言でおれば、子どもらはわけもわからずながら人々の前をかねるのか、ふたりは話しながらもひそひそと語り合ってる。
 去年母の三年忌で、石塔を立て、父の名も朱字に彫《ほ》りつけた、それも父の希望であって、どうせ立てるならばおれの生きてるうちにとのことであったが、いよいよでき上がって供養《くよう》をしたときに、杖を力に腰をのばして石塔に向かった父はいかにも元気がなく影がうすかった。ああよくできたこれでおれはいつ死んでもえいと、父は口によろこばしき言《こと》をいったものの、しおしおとした父の姿にはもはや死の影を宿し、人生の終焉《しゅうえん》老いの悲惨ということをつつみ得なかった。そうと心づいた予は実に父の生前石塔をつくったというについて深刻に後悔した。なぜこんなばかなことをやったのであろうか、われながら考えのないことをしたものかなと、幾度悔いても間に合わなかった。それより四カ月とたたぬうちに父は果たして石塔の主人となられた。一村二十余戸八十歳以上の老齢者五人の中の年長者であるということを、せめてもの気休めとして、予の一族は永久に父に別れた。
 姉も老いた、兄も老いた、予も四十五ではないか。老なる問題は他人の問題ではない、老は人生の終焉である。何人もまぬかるることのできない、不可抗的の終焉である。人間はいかにしてその終焉を全《まっと》うすべきか、人間は必ず泣いて終焉を告げねばならぬものならば、人間は知識のあるだけそれだけ動物におとるわけである。
 老病死の解決を叫んで王者の尊を弊履《へいり》のごとくに捨てられた大聖|釈尊《しゃくそん》は、そのとき年三十と聞いたけれど、今の世は老者なお青年を夢みて、老なる問題はどこのすみにも問題になっていない。根底より虚偽な人生、上面《うわつら》ばかりな人世、終焉|常暗《じょうあん》な人生……
 予はもの狂わしきまでにこんなことを考えつつ家に帰りついた。犬は戯れて躍ってる、鶏は雌雄《しゆう》あい呼んで餌をあさってる。朗快な太陽の光は、まともに庭の草花を照らし、花の紅紫も枝葉《えだは》の緑も物の煩《わずら》いということをいっさい知らぬさまで世界はけっして地獄でないことを現実に証明している。予はしばらく子どもらをそっちのけにしていたことに気づいた。
「お父さんすぐ九十九里へいこうよう」
「さあお父さんてば早くいこうよう」
 予も早く浜に行きたいは子どもらと同じである、姉夫婦もさあさあとしたくをしてくれる。車屋が来たという。二十年他郷に住んだ予には、今は村のだれかれ知った顔も少ない。かくて紅黄の美しいりぼんは村中を横ぎった。
 お光さんの夫なる人は聞いたよりも好人物で、予ら親子の浜ずまいは真に愉快である。海気をふくんで何となし肌当たりのよい風がおのずと気分をのびのびさせる。毎夕の対酌に河村君は予に語った。妻に子がなければ妻のやつは心細がって気もみをする、親類のやつらは妾《めかけ》でも置いてみたらという。子のないということはずいぶん厄介ですぜ、しかし私はあきらめている、で罪のない妻に心配させるようなことはけっしてしませんなどいう。予もまた子のあるなしは運命でしかたがない、子のある人は子のあるのを幸福とし、子のない人は子のないを幸福とするのほかないと説《と》いた。お光さんの気もみしてるということは、かげながら心配していたが、それを聞いておおいに安心した由《よし》を告げた。しかしお光さんはやはり気もみをしているのであった。
 このごろの朝の潮干《しおひ》は八時過ぎからで日暮れの出汐《でしお》には赤貝の船が帰ってくる。予らは毎朝毎夕浜へ出かける。朝の潮干には蛤《はまぐり》をとり夕浜には貝を拾う。月待草に朝露しとど湿った、浜の芝原《しばはら》を無邪気な子どもを相手に遊んでおれば、人生のことも思う機会がない。
 あってみない前の思いほどでなく、お光さんもただ懇切《こんせつ》な身内の人で予も平気なればお光さんも平気であったに、ただ一日お光さんは夫の許しを得て、予らと磯に遊んだ。朝の天気はまんまるな天際の四方に白雲を静めて、洞《ほら》のごとき蒼空はあたかも予ら四人を中心としてこの磯辺をおおうている。単純な景色といわば、九十九里の浜くらい単純な景色はなかろう。山も見えず川も見えずもちろん磯には石ころもない。ただただ大地を両断して、海と陸とに分かち、白波と漁船とが景色を彩《あや》なし、円大な空が上をおおうてるばかりである。磯辺に立って四方を見まわせば、いつでも自分は天地の中心になるのである。予ら四人はいま雲の八重垣《やえがき》の真洞《まほら》の中に蛤をとっている。時の移るも知らずに興じつつ波に追われたり波を追ったりして、各小袋に蛤は満ちた。よろこび勇んで四人はとある漁船のかげに一休みしたのであるが、思わぬ空の変わりようにてにわかに雨となった。四人は蝙蝠傘《こうもり》二本をよすがに船底に小さくなってしばらく雨やどりをする。
 ふたりの子どもを間にして予とお光さんはどうしても他人とはみえぬまで接近した。さすがにお光さんは平気でいられない風情《ふぜい》である。予はことさらに空を眺めて困った雨ですなアなど平気をよそおう。
「あなたはほんとにおしあわせです」
 お光さんはまず口を切った。
「なにしあわせなことがあるもんですか、五人も六人も子どもがあってみなさい、どうにもこうにも動きのとれるもんじゃないです。私はあなたは子がなくてしあわせだと思ってます」
 予は打ち消そうとこういってみたけれど、お光さんの境遇《きょうぐう》に同情せぬことはできない。お光さんはじっとふたりの子どもを見つめるようすであったが、
「私は子どもさえあれば何がなくてもよいと思います。それゃ男の方《かた》は子がないとて平気でいられましょうけれど、女はそうはゆきませんよ」
「あなたはそんなことでいまだに気もみをしているのですか。河村さんはあんな結構人《けっこうにん》ですもの、心配することはないじゃありませんか」
「あなたのご承知のとおりで、里へ帰ってもだれとて相談相手になる人はなし、母に話したところで、ただ年寄りに心配させるばかりだし、あなたがおいでになったからこのごろ少し家にいますが、つねは一晩でも早くやすむようなことはないのですよ。親類の人は妾でも置いたらなどいうくらいでしょう。一日とて安心して日を暮らす日はありませんもの。こんなに不安心にやせるような思いでいるならば、いっそひとりになったほうがと思いますの。東京では女ひとりの所帯はたいへん気安いとかいいますから……」
 予は突然打ち消して、
「とんでもないことです。そりゃ東京では針仕事のできる人なら身一つを過ごすくらいはまことに気安いには相違ないですが、あなたは身分ということを考えねばなりますまい。それにそんな考えを起こすのは、いよいよいけないという最後のときの覚悟です。今おうちではああしてご無事で、そうして河村さんもちゃんとしているのに、女としてあなたから先にそんな料簡《りょうけん》を起こすのはも
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