ってていねいな挨拶ははなはだ滑稽《こっけい》でおかしい。あい変わらず洒はやってるようだ。
「ぼんにくるだろうといってたんだ。あァそうか片貝へ……このごろはだいぶ東京から海水浴にくるそうだ」
「片貝の河村から、ぜひ一度海水浴に来てくれなどといってきたから、ついその気になってやって来たんです」
「それゃよかった。何しろこんな体《てい》たらくで、うちではしょうがねいけど、婆が欲張って秋蚕なんか始めやがってよわっちまァ」
「えいさ、それもやっぱり楽しみの一つだから」
「うんそうだ亀公のとこん鯰《なまず》があったようだった、どれちょっとおれ見てきべい」
 兄はすぐ立って外へ出る。姉もいま一度桑をやるからとこれも立つ。竈屋《かまや》のほうでは、かまだきを燃す音や味噌する音が始まった。予も子どもをつれて裏の田んぼへ出た。
 朱《あけ》に輝く夕雲のすき間から、今入りかけの太陽が、細く強い光を投げて、稲田の原を照り返しうるおいのある空気に一種の色ある明るみが立った。この一種の明るみが田園村落をいっそう詩化している。大きく畝《うね》をなして西より東へ走った、成東の岡《おか》の繁りにはうす蒼く水気がかかって
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