いる。町の家の峯をかけ、岡の中腹を横に白布をのしたように炊《かし》ぎの煙が、わざとらしくたなびいている。岡の東端ひときわ木立《こだち》の深いあたりに、朱塗《しゅぬ》りの不動堂がほんのりその木立の上に浮きだしている。子どもたちはいつのまか遠く予を置いて、蝗《いなご》を追ってるらしく、畔豆《あぜまめ》の間に紅黄のりぼんをひらつかせつつ走ってる。予は実にこの光景に酔った。
 むかし家におったころに毎日出あるいた田んぼ道、朝に晩にながめたこの景色、おもむきは昔の記憶に少しも変わらないが、あまたの子持ちとなった今のわが目には特別な意味を感ぜぬわけにゆかぬ。昔日《せきじつ》のことが夢でなくて、今の現在がかえって夢のように思われてならない。老いさらぼいた姉、ぽうんとした兄、暗寂たる家のようす。それから稲の葉ずえに露の玉を見る、静かに美しい入り日のさまは、どうしても、今の現在が夢としか思われない。
 ものさびしいうちに一種の興味を感じつつもその愉快な感じのうちには、何となしはかなく悲しく、わが生の煙にひとしき何もかも夢という思念が、潮《うしお》と漲《みな》ぎりくるを感ずるのである。
 ぼんやり立ちつく
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