間の家らしい気分がする。お前はほんとに楽しみだろうね。あんなかわいいのをふたりもつれて遊びあるいてさ」
「いや姉さんふたりきりならえいがね、六人も七人もときては、楽しみも楽しみだが、厄介《やっかい》も厄介ですぜ」
 姉はそんな言には耳もかさず、つくづくと子どもたちの駆けまわるのに見入って、
「子どもってまァほんとにかわいいものね、子どものうれしがって遊ぶのを見てるときばかり、所帯《しょたい》の苦労もわが身の老いぼけたのも、まったく忘れてしまうから、なんでも子どものあるのがいちばんからだの薬になると思うよ。けっして厄介だなどと思うもんでない」
「まったく姉さんのいうことがほんとうです、そりゃそうと孫はどうしました」
「あァ秋蚕が終《お》えると帰ってくるつもり。こりゃまァ話ばかりしててもどもなんね。お前まァ着物でも脱《ぬ》いだいよ。お……婆やも帰った、家《うち》でも帰ったようだ」
 いずれ話はしみじみとしてさすがに、親身《しんみ》の情である。蚕棚の側から、どしんどしん足音さしつつ、兄も出てきた。臍《へそ》も見えるばかりに前も合わない着物で、布袋《ほてい》然たる無恰好《ぶかっこう》な人が改まってていねいな挨拶ははなはだ滑稽《こっけい》でおかしい。あい変わらず洒はやってるようだ。
「ぼんにくるだろうといってたんだ。あァそうか片貝へ……このごろはだいぶ東京から海水浴にくるそうだ」
「片貝の河村から、ぜひ一度海水浴に来てくれなどといってきたから、ついその気になってやって来たんです」
「それゃよかった。何しろこんな体《てい》たらくで、うちではしょうがねいけど、婆が欲張って秋蚕なんか始めやがってよわっちまァ」
「えいさ、それもやっぱり楽しみの一つだから」
「うんそうだ亀公のとこん鯰《なまず》があったようだった、どれちょっとおれ見てきべい」
 兄はすぐ立って外へ出る。姉もいま一度桑をやるからとこれも立つ。竈屋《かまや》のほうでは、かまだきを燃す音や味噌する音が始まった。予も子どもをつれて裏の田んぼへ出た。
 朱《あけ》に輝く夕雲のすき間から、今入りかけの太陽が、細く強い光を投げて、稲田の原を照り返しうるおいのある空気に一種の色ある明るみが立った。この一種の明るみが田園村落をいっそう詩化している。大きく畝《うね》をなして西より東へ走った、成東の岡《おか》の繁りにはうす蒼く水気がかかっている。町の家の峯をかけ、岡の中腹を横に白布をのしたように炊《かし》ぎの煙が、わざとらしくたなびいている。岡の東端ひときわ木立《こだち》の深いあたりに、朱塗《しゅぬ》りの不動堂がほんのりその木立の上に浮きだしている。子どもたちはいつのまか遠く予を置いて、蝗《いなご》を追ってるらしく、畔豆《あぜまめ》の間に紅黄のりぼんをひらつかせつつ走ってる。予は実にこの光景に酔った。
 むかし家におったころに毎日出あるいた田んぼ道、朝に晩にながめたこの景色、おもむきは昔の記憶に少しも変わらないが、あまたの子持ちとなった今のわが目には特別な意味を感ぜぬわけにゆかぬ。昔日《せきじつ》のことが夢でなくて、今の現在がかえって夢のように思われてならない。老いさらぼいた姉、ぽうんとした兄、暗寂たる家のようす。それから稲の葉ずえに露の玉を見る、静かに美しい入り日のさまは、どうしても、今の現在が夢としか思われない。
 ものさびしいうちに一種の興味を感じつつもその愉快な感じのうちには、何となしはかなく悲しく、わが生の煙にひとしき何もかも夢という思念が、潮《うしお》と漲《みな》ぎりくるを感ずるのである。
 ぼんやり立ちつくした予は足もとの暗くなったのもおぼえなかった。
「お父さん、もう帰ろうよお父さん」
 とふたりの子に呼び立てられ、はじめてわれに帰った。裏口より竈屋《かまや》のほうへまわると兄は鯰を料理していた。予はよほど神経疲労したものか、兄が鯰を切ってそのうす赤い血を洗ってる光景までがどうしても現実とは思えない。ふたたび子どもにうながされてようやく座敷へ上がる。姉はばさばさ掃き立てている。洋燈《ランプ》が煌々《こうこう》として昼のうす暗かった反対に気持ちがよい。
 この夜も姉は予と枕をならべて寝る。姉は予がくるたびにいつでもそうであるのだ。田畑のできばえのことから近隣村内のできごとや、親類のいざこざまで、おもしろかったこと、つまらなかったこと、いまいましくて残念であったことなどのいっさいを予に話して聞かせる。予がそれ相当な考えをいうて相手になるものから、姉はそれがひじょうに楽しみらしい。姉はおもしろかったことも予に話せばいっそうおもしろく、残念な口惜しいことなどは、予に話せばそれでおおいに気分がよくなるのだ。極端にのん気な酒飲みな夫をもった姉は、つねにしんみりした話に飢えている。予はずいぶんそのら
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