ちもなき話に閉口するときがあるけれど、生まれるとから手にかけた予をなつかしがっていると思うてはいつでもその気で相手になる。姉も年をとったなと思うと気の毒な思いが先で、予は自分をむなしくして姉に満足を与える気になる。とうとう一時過ぎまでふたりは話をした。兄がひと寝入りして目を覚まし、お前たちまだ話しているのかと驚いたほどである。多くの話のうちに明日行くべきお光《みつ》さんに関しての話はこうであった。
「お前はどういう気でにわかにお光が所へ行く気になったえ」
「どういう気もないです。お光さんから東京からもきてくれんければ、こちらからも東京へいって寄れないからなぞというてきたからです」
「そんならえいけれどね。お前にあれをもらってくれまいかって話のあったとき、少しのことで話はまとまらなかったものの、お前もあれをほしかったことは、向こうでもよく知っているから、東京の噂はよく出たそうだよ。それにあれもいまだに子どもがないから、今でもときどき気もみしてるそうだ。身上《しんじょう》はなかなかえいそうだけれど、あれもやっぱりかわいそうさ。お前にそうして子どもをつれてゆかれたら、どんな気がするか」
「そんなこと考えると少しおかしいけれど、それはひとむかし前のことだから、ただ親類のつもりで交際すればえいさ」
予は姉には無造作《むぞうさ》に答えたものの、奥の底にはなつかしい[#「なつかしい」は底本では「なっかしい」]心持ちがないではない。お光さんは予には従姉《いとこ》に当たる人の娘である。
翌日は姉夫婦と予らと五人つれ立って父の墓参をした。母の石塔《せきとう》の左側に父の墓はまだ新しい。母の初七日《しょなぬか》のおり境内へ記念に植えた松の木杉の木が、はや三尺あまりにのびた、父の三年忌には人の丈《たけ》以上になるのであろう。畑の中に百姓屋めいた萱屋《かやや》の寺はあわれにさびしい、せめて母の記念の松杉が堂の棟《むね》を隠すだけにのびたらばと思う。
姉がまず水をそそいで、皆がつぎつぎとそそぐ。線香と花とを五つに分けて母の石塔にまで捧げた。姉夫婦も無言である、予も無言である。
「お父さんわたいお祖父《じい》さん知ってるよ、腰のまがった人ねい」
「一昨年《おととし》お祖父さんが家へきたときに、大きい銀貨一つずつもらったのをおぼえてるわ」
「お父さん、お祖父さんどうして死んだの」
「年をとったからだよ」
「年をとるとお父さんだれでも死ぬのかい」
「お父さん、お祖母《ばあ》さんもここにいるの」
「そうだ」
予は思わずそう邪険《じゃけん》にいって帰途につく。兄夫婦も予もなお無言でおれば、子どもらはわけもわからずながら人々の前をかねるのか、ふたりは話しながらもひそひそと語り合ってる。
去年母の三年忌で、石塔を立て、父の名も朱字に彫《ほ》りつけた、それも父の希望であって、どうせ立てるならばおれの生きてるうちにとのことであったが、いよいよでき上がって供養《くよう》をしたときに、杖を力に腰をのばして石塔に向かった父はいかにも元気がなく影がうすかった。ああよくできたこれでおれはいつ死んでもえいと、父は口によろこばしき言《こと》をいったものの、しおしおとした父の姿にはもはや死の影を宿し、人生の終焉《しゅうえん》老いの悲惨ということをつつみ得なかった。そうと心づいた予は実に父の生前石塔をつくったというについて深刻に後悔した。なぜこんなばかなことをやったのであろうか、われながら考えのないことをしたものかなと、幾度悔いても間に合わなかった。それより四カ月とたたぬうちに父は果たして石塔の主人となられた。一村二十余戸八十歳以上の老齢者五人の中の年長者であるということを、せめてもの気休めとして、予の一族は永久に父に別れた。
姉も老いた、兄も老いた、予も四十五ではないか。老なる問題は他人の問題ではない、老は人生の終焉である。何人もまぬかるることのできない、不可抗的の終焉である。人間はいかにしてその終焉を全《まっと》うすべきか、人間は必ず泣いて終焉を告げねばならぬものならば、人間は知識のあるだけそれだけ動物におとるわけである。
老病死の解決を叫んで王者の尊を弊履《へいり》のごとくに捨てられた大聖|釈尊《しゃくそん》は、そのとき年三十と聞いたけれど、今の世は老者なお青年を夢みて、老なる問題はどこのすみにも問題になっていない。根底より虚偽な人生、上面《うわつら》ばかりな人世、終焉|常暗《じょうあん》な人生……
予はもの狂わしきまでにこんなことを考えつつ家に帰りついた。犬は戯れて躍ってる、鶏は雌雄《しゆう》あい呼んで餌をあさってる。朗快な太陽の光は、まともに庭の草花を照らし、花の紅紫も枝葉《えだは》の緑も物の煩《わずら》いということをいっさい知らぬさまで世界はけっして地獄でないこ
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