たからだよ」
「年をとるとお父さんだれでも死ぬのかい」
「お父さん、お祖母《ばあ》さんもここにいるの」
「そうだ」
 予は思わずそう邪険《じゃけん》にいって帰途につく。兄夫婦も予もなお無言でおれば、子どもらはわけもわからずながら人々の前をかねるのか、ふたりは話しながらもひそひそと語り合ってる。
 去年母の三年忌で、石塔を立て、父の名も朱字に彫《ほ》りつけた、それも父の希望であって、どうせ立てるならばおれの生きてるうちにとのことであったが、いよいよでき上がって供養《くよう》をしたときに、杖を力に腰をのばして石塔に向かった父はいかにも元気がなく影がうすかった。ああよくできたこれでおれはいつ死んでもえいと、父は口によろこばしき言《こと》をいったものの、しおしおとした父の姿にはもはや死の影を宿し、人生の終焉《しゅうえん》老いの悲惨ということをつつみ得なかった。そうと心づいた予は実に父の生前石塔をつくったというについて深刻に後悔した。なぜこんなばかなことをやったのであろうか、われながら考えのないことをしたものかなと、幾度悔いても間に合わなかった。それより四カ月とたたぬうちに父は果たして石塔の主人となられた。一村二十余戸八十歳以上の老齢者五人の中の年長者であるということを、せめてもの気休めとして、予の一族は永久に父に別れた。
 姉も老いた、兄も老いた、予も四十五ではないか。老なる問題は他人の問題ではない、老は人生の終焉である。何人もまぬかるることのできない、不可抗的の終焉である。人間はいかにしてその終焉を全《まっと》うすべきか、人間は必ず泣いて終焉を告げねばならぬものならば、人間は知識のあるだけそれだけ動物におとるわけである。
 老病死の解決を叫んで王者の尊を弊履《へいり》のごとくに捨てられた大聖|釈尊《しゃくそん》は、そのとき年三十と聞いたけれど、今の世は老者なお青年を夢みて、老なる問題はどこのすみにも問題になっていない。根底より虚偽な人生、上面《うわつら》ばかりな人世、終焉|常暗《じょうあん》な人生……
 予はもの狂わしきまでにこんなことを考えつつ家に帰りついた。犬は戯れて躍ってる、鶏は雌雄《しゆう》あい呼んで餌をあさってる。朗快な太陽の光は、まともに庭の草花を照らし、花の紅紫も枝葉《えだは》の緑も物の煩《わずら》いということをいっさい知らぬさまで世界はけっして地獄でないこ
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