こんなことじゃいかん、あまりひとすじに思い込むのは愚だ。不景気も要するに一時の現象だから一年も二年も続く気づかいはない。ともかく一月《ひとつき》一月でもどうにかやって行ければ、そのうち息をつくときもあるだろう。
 だれでも考えそうな、たわいもない理屈を思い出して、一時の気安めになるのも、実は払わねばならぬものは払い、言い延《の》べのできるものは言い延べてしまった、月と月との間ぎわ少しのあいだのことだ。収入はまた先月よりも減じた。支払いは引き残りがあるからむろん先月よりも多い。一時のつけ元気で苦しさをまぎらかしたのも、姑息《こそく》の安《やすき》を偸《ぬす》んでわずかに頭を休めたのも月末という事実問題でひとたまりもなく打ちこわされてしまう。
 臆病心がいよいよこうじてくると、世の中のすべての物がことごとく自分を迫害するもののように思われる。強風が吹いて屋根の隅《すみ》でも損ずれば、風が意地わるく自分を迫害するように感ずる。大雨が降る傘《かさ》を買わねばならぬ。高げたを買わねばならぬといえば、もう雨が恐ろしいもののように思われる。同業者はもちろん仇敵《きゅうてき》だ。すべての商人はみな不
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