赤|白斑《まだら》の乳牛である。見ると少しく沈欝《ちんうつ》したようすはしているが、これが恐るべき牛疫とは素人目《しろうとめ》には教えられなければわからぬくらいである。その余の三十余頭、少しも平生に変わらず、おのおの争うて餌をすすっている。
「こうしているのをいま少しすぎにみな撲殺してしまうのかと思うと、損得に関係なく涙が出る」
 主人はいまさら胸のつかえたように打ち語るのであった。けさ分娩したのだという白牛は、白黒斑のきれいなわが子を、頭から背から口のあたりまで、しきりにねぶりまわしているなどは、いかにも哀れに思われた。牡牛のうめき声、子牛の鳴き声等あい混《こん》じてにぎやかである。いずれもいずれも最後の飼葉《かいば》としていま当てがわれた飼桶《かいおけ》をざらざらさも忙しそうに音をさせてねぶっている。主人は雇人《やといにん》に、
「これきりの飼葉だ、ねぶらせておけよ。桶も焼いてしまうのだ。かじってえい……」
 主人の声はのどにつまるように聞こえた。僕は慰めようもなく、ただおおいに放胆《ほうたん》なことをいうて主人を励ました。
 警視庁の獣医も来て評価人も規定どおり三人そろうたから、
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