かった。ついで甥《おい》の娘が死んだ、友人の某が死に某が死んだ。ついに去年下半年の間に七度葬式に列した僕はつくづく人生問題は死の問題だと考えた。生活の問題も死の問題だ。営業も不景気も死の問題だ。文芸もまた死の問題だ。そんなことを明け暮れ考えておった。そうして去年は暮れた。
不幸ということがそう際限もなく続くものでもあるまい。年の暮れとともに段落になってくれればよいがと思っていると、息はく間もなく、かねて病んでおった田舎《いなか》の姉が、新年そうそうに上京した。それでこれもまもなく某病院で死んだ。姉は六十三、むつかしい病気であったから、とうから覚悟はしておった。
「欲にはいま三年ばかり生きられれば、都合がえいと思ってたが、あに今死んだっておれは残り惜しいことはない……」
こう自分ではいったけれど、知覚精神を失った最後の数時間までも、薬餌《やくじ》をしたしんだ。匙《さじ》であてがう薬液を、よく唇《くちびる》に受けてじゅうぶんに引くのであった。人間は息のとまるまでは、生きようとする欲求は消えないものらしい。
六
いささか長いに閉口するだろうが、いま一節を君に告げたい
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