煙が、深川の空をおおうて一文字にたなびく。壮観にはちがいないが不愉快な感じもする。
多く社会の後継者をつくるということは、最も高い理想には相違なきも、子多くして親のやせるのも生物の真理だ。僕はこんなことを考えながら、台所へもどった。
親子九人でとりかこむ食卓は、ただ雑然として列も順序もない。だれの碗《わん》だれの箸《はし》という差別もない。大きい子は小さい子の世話をする。鍋《なべ》に近い櫃《ひつ》に近い者が、汁を盛り飯を盛る。自然で自由だともいえる。妻は左右のだれかれの世話をやきながらも、先刻動揺した胸の波がいまだ静まらない顔つきである。いつもほど食卓のにぎわわないのは、親たちがにぎやかさないからだ。
琴のおさらいが来月二日にある。師匠の師匠なる大家が七年目に一度するという大会であるから、家からも三人のうち二人だけはぜひ出てくれという師匠からの話があったから、どうしようかと梅子がいい出した。梅子は両親の心もたいていはわかってるから、師匠がそういうたとばかり、ぜひ行きたいとはいわないのだ。しばらくはだれも何とも言わない。僕も妻もまた一種の思いを抱《いだ》かずにはいられなかった。
前へ
次へ
全36ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 左千夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング