いうことは、よほど理屈にはずれた話だけれど、僕のところなどではそれがしじゅう事実として行なわれている。
 ある朝であった。妻は少し先に起きた。三つになるのがふとんの外へのし出て眠っているのを、引きもどして小枕を直しやりながら、
「ねいあなた、まだ起きないですか」
「ウム起きる、どうしたんだ」
 見れば床にすわりこんで、浮かぬ顔をしていた妻は、子どもの寝顔に目をとめ、かすかに笑いながら、
「まァかわいい顔して寝てる、こうしているのを見ればちっとも憎くないけど……」
 ちっとも憎くないけどの一語は僕の耳には烈《はげ》しい目ざましになった。妻はふたたび浮かぬ顔に帰ってうつぶせになにものかを見ている僕は夜具をはねのけた。
「ねいあなた、わたしの体《からだ》はまたへんですよ」
 僕は、ウムと答える元気もなかった。妻もそれきり一語もなかった。ふたりとも起《た》って夜具はずんずん片づけられる。あらたなるできごとをさとって、烈しく胸に響いた。話しするのもいやな震動は、互いに話さなくとも互いにわかっている。心理状態も互いに顔色でもうわかってる。妻は八人目を懐胎《かいたい》したのだ。
「ほんとに困ったもの
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