いほど、風邪を引かない。そして塩分の強い空気にぬれて、肺を新らしくし、縦横無尽に活躍してくると、いかなる人でも、その精神は子供か原始人のようになる。そしてよく疲れて一日や二日は夢のように過ぎてしまうものである。
こうして私は、冬も温い南方の荒磯へ行って遊んでくる。夏や秋は一週間も釣ってくる。海水浴場とか温泉にも遠く、何の設備もないそういう場所が、まだ日本にはいくらもある。たとえば式根島でもそれを味える、神津島でも八丈島でも、陸つづきなら下田以南、石廊岬から西へ行けば、私のいう荒磯はいくらもあり、関西なら潮岬から土佐海岸、その少し交通不便なところというものは、又釣人にとっての好適地で、天然の水中牧場がひらけ、千百種の魚が遊んでいるのである。
この場合、釣とは原始に還ることである。そして最も生新に自然と遊ぶことである。特にリール竿の研究、餌の問題、魚の習性というものをよく会得し得られることによって、詩と科学の世界へまで侵入し、そこに自然の運動を感知することが出来る。荒磯の興味は殊にそういう点で、多忙な現代の人士にとっては必要なものではなかろうか、恰度三千米突以上の高山に登って、夏、白雪
前へ
次へ
全8ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 惣之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング