らないといってよい。
一望千里、波浪と岩礁のみの荒磯も、その海底は千変万化で、海流に洗われて深く、浅くさまざまな現象を持っている、そこへ四季の魚が寄り、石ダイやブダイは同じ所に生棲し、鮑やその他の貝や、ウツボや海蛇と共に生活しているのであるから、理科学的に調査したら、恐らく凄じいものがあるだろう。その小さい科学的な知識を前提として、私達の磯釣は成立するのである。
その第一は陸の生活と遠離の感で、まるでロビンソン・クルーソーになった気持である。第二は陸と海の境界線に立って、自分も同じ生物として生きている孤独感で、いかにして魚を釣るかという喜悦と祈願に似た感情である。第三はいざ目的の大魚がかかって、これを逸すかせしめるかの闘争的快楽である。この第三の健康的な挑むような、張切った感じがうれしくって、波浪も岩壁も物かは、危険を犯してまでも目的の魚のいるところまで往くのである。
もしその場合、四百目以上七八百目から一貫目もある魚に出逢って見給え、引き上げるか、引き込まれるか喰うか喰われるかの境地まで行くと、そのスリルたるや何物にも勝るものがある、まして竿が満月になり、魚の引きの強さに、よろ
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