季節の馬車
佐藤惣之助

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)竈《かまど》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「日/咎」、第3水準1−85−32]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ほう/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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  飛雄する東部亞細亞人の爲めに

 われわれは今やらなければ駄目だ。東半球の太平洋の藝術家として、青青とした若い日本人として、あたらしい神神と民族との史詩や大きい祝祭の、精神的な戰ひを。そして殊に日本人が「飛雄する東部亞細亞人」のために、南部東洋の島島の娘等のために、又は北部亞細亞大陸の若者のために、まだヨーロツパ人の捉へる事の出來ない大太平洋の波濤のページに、あたらしい豪華な景觀と高遠なる史詩や劇詩を書き、日の出づる美の海洋線を清め、王政復古のやうに、昔の榮華を盛りかへし獨自の艤裝を凝らして世界の港へ出帆しなくてはならない。
 西部東洋の土耳古・阿剌比亞・波斯・印度等はヨーロツパにやられた。精神も神神も娘子供まで征服された。新月と黄昏の國は亡びた。しかし古いわれわれの荒磯や島や黒潮帶は犯されぬ。われわれは目が醒めた。早くヨーロツパの電線や瓦斯や機械をめいめいの感覺や精神からはづすがよい。そしてもう一度野生にかへつて[#「かへつて」は底本では「かへって」]太平洋を祭り、日と曙と波濤の中から、未來の善美や眞實なる藝術を生め! 日本はその冒險航海家の第一人者となる必要がある。それでなければ支那やフイリツピン人の下に立たなければならぬ。それでは駄目だ。この東洋の最端にゐるわれわれは海と嵐の荒磯の子だ。決して巷の漂流人や草原の牧羊者ではない。われわれは漁夫の子だ。百姓の船員の、そして太平洋の無名の靈の子だ。われわれはヨーロツパの教化を受けたくない。徒に外國語の説明者になりたくない。佛蘭西人の流派に從ひたくない。
 ほんとうにわれわれはやらなければ駄目だ。一代も二代も通して東洋文藝復古期をつくり、ヨーロツパと戰はなければ、東半球の南北にかけて、どんなに未知な靈と力とが、波濤と岩との間にかくれてゐるか、眞の黄金期が埋もれてゐるか。毎日の曙と花と天とを見てもすぐ感じられる筈だ。それでなくては大太平洋もこの蒼古な美しい國土もわれわれに與へられてはゐない筈だ。
 千九百二十二年夏
[#地から1字上げ]佐藤惣之助

  青艶

四月の朝燒けにすき透り眼を染めて
竹の林をあるくわかわかしい靜かなはなやかさ
うす紫の影を吹きわけいづる八重葎と春百合の
やはらかに風のわたる清らかな心地を
雨あがりの黄金のかがやきに照りみだされ
ぬれたる羽をふるひ眼の光りを洗ひ
いのちの滿々たる曙のほのほをかんじつつ
又は遠くあでやかなる人の眼ざめを思ひつつ
ほのかなる霧に浸されながら谿道を下る。

  色と影

僕はこの四月の村村の谿と濕地をつくる
いきいきしたものの色と影との反射を
洗ひたての肉體いつぱいの楯をもつて彩らう
うつくしい力とほのほとの自然の竈《かまど》から
ふきぬけいづる情感と愛戀との
きよき爽かさにみちわたるこの名づけやうのない深いもの陰を
霧のやうなあたらしい水の智慧をもつて
あるひは夜の青みがもてる匂ひと隈をもつて
僕の中に滴るいのちの思ひの深い濕りとしよう。

  祕書役

僕には名目も何にもない自然の祕書役の椅子を與へてくれ
僕はその椅子を殊に名もなき山の木と
いきてはねかへる青い蔓をもつてしばりからげ
誰もとがめもしなければ見ることもない村村の
その又荒れ狂つてゐるままにすててある
あたらしい地球のこのするどい境地へ置かう。

  清けき饗宴に

春が來てふたたび村へ來るといつもながらの
清けき饗宴に時間たがはず參列して
おのが健康とあたりの新大氣がしづかにめぐりあひ
ふたたびかわかぬ喜びの海に生の焔をたのしみ
あざやかなる勢ひとふくよかなる滿足に染まり
あます處なき地球人としての歡喜の手を
生墻《いけがき》のやうにあをあをと身につなぐべく。

  仄かなる午前の風

村村へつづく庭の木の盛り上れる方より
わかき午前の日のかがやきと匂やかなる風は
いきながら空氣の娘のごとくにも近より來る
わが影をきよらかにめぐり半身に日を彩りつつ
そこらなる花花と蕾とをあたたかく一致せしめ
うすき喜びの電氣を燦めかして
椅子のほとりを黄金の日時計ともうたがはしめ
又はうつくしき地の光明臺の如くにも
はるかなる南風のほのほをひびかせ
うちあけたる朝の情熱をひたひたと滴らし
わが身の上を青空のさなかにすき透らせ。

  清朗

古き寺の庭のまはりにひびく雜木の濤を
ほんのりと吹きとほらせる風のいろは
午前の黄金とあたらしい影をはつきりとはなち
花もつ梢の片面をうすもも色に照らして
青みゆく影の動き多き西邊の丘の方へと
そのいきながらの羽とほのほをなびかせ
ひそかにちる花片と青い昆蟲の空中へ
あざやかなる寂莫の色をあふりいで
やさしきものの熱情をより明らかに
發散する露と雫の日を映し
杉の匂ひのしみる、よりよき鐘の音のする陰へ
あかい鳥の巣や雲を焚く青空をあたへ
熱い豐滿な正午の明暗をふりしきらせつ。

  この非情なる寂寥こそ

村の高みへ思ひもえつつ歩み出ながら
あたりの大氣と景觀にみつしりとうちしめり
曇り來れる四月の色と影をいつぱいにして
はるかな村村の山から來る風と寂寥とに
思ふさまただひとり吹かれぬく事は
目に見える感じをとらへる以上に強い
このあたりから吹き起る名もない寂寥こそ
西風がもてる地球のかすかな薫りであり
又われわれの思ひと官能を洗ひきよめる
生の極彩色の空中からの
神神しい情熱のもつとも深い幽麗な影と
かるい愛情にぬれて村村へくる
水よりも直接でうつくしい生の瀧である
われわれはこの力と清きつめたさのために
われわれの惱みと切ない腐りを裁《き》りさり
雨で洗つた枝枝のやうに勢ひをもりかへし
又われわれの生む事の出來ない自然の健康慾を
しばらくでも身に飾り波うたせ
時間が畫く未來の美しい一角へすすみ入り
一歩一歩生の色どりを深め得るにちがひない。

  薄暮

いろやかに、にほやかに、ものの濕りと匂ひを
ひろがりゆく影のインク色にひたして
人はしづかに深みにかへる情熱を
大きい眼をもつてあたりいちめんに發射する
庭のむらさきなす紫荊の枝枝に
ひときは村のはてなる黒い檜の影へ
あきらかなりし空中のほむらを塗り
うすうすとにじみ來る透明なる「時」をかかげ
竹のあたりへおちる小さい響きを感じながら
もつとも色のない小さいオキザリスの花を
そのまつ毛のまつ先に捉へようとして
彼は音もなく煙のやうにひとり椅子から立ちあがる。

  魔法使

僕はみる
この大きいつやつやした朝紅《あさやけ》のなかの
色どりふかいものの重たさかるやかさの上に
又はいきいきしたる美しい熱のむらがりと
匂やかな明るい日のあらはれのうちに
闇からでてすつかり洗ひ清められたばかりの花のほのほから
青青として枝枝等のかげを
すき透らんばかりにあちこちと隱れてゆく
大きい春といふ神話の魔法使の影を。

  過ぎし日

うつくしかつた情熱の煙ともわかれ
もつともわびしい田舍へやつて來たものにとつて
四月のうすい春蘭やまつ白な木の花の
ざわざわとして吹きすさぶ色にふれるとき
さらにさらにあざやかな淋しさが
夕暮の匂ひとともにしんめりと身にながれる
いかなれば今さらに自然界の春の
こんなにもすがすがしくはれやかなるぞ
その眼その身にも似る事なく
日日に遠のく美しいいろいろの思ひを
いきいきととびちらしてしまつて。

  二重の惑はし

ひそやかに色の濃い四月の夕ぐれの
どこともなくうすけむりにつつまれた地球のうつくしさ
もうろうと立ちどまつて獨り眺めてゐると
眼に見ゆるものすべてが情熱に映り映え
憂はしくもものによりそひて
しめやかなる粧ひをつくした女のやうに
あやしげに燃ゆるふしぎな姿もかんじられ
その奧の方にかくれてゆくほんのりした夕映を
うつとりしながら戀ひしたふ。

  匂ひと響き

藪とすももの花のあらしのなかから
いひ知れぬうすい感じと影がとびちり
曇つてゐる村村と僕をあをあをと塗りつけ
ごくひそやかな響きをつたへては見えなくなる
僕はそのうしろと前と色のよい空間へ
自分の持つてゐる曇りも闇をもとばしてしまひ
眞晝のうすい月の色香をかんじ
雜木のむれを吹き透す生氣にふれ
何のあてもなくほんのりと自分を失くしてしまふ
僕はその色とも水ともつかない薫りを愛し
このうつくしい響きのなかから
生の幽麗なる姿に似たものをかんじはじめる
おぼろげなるそこら中の色と形とに
ふしぎな情愛の日のふくらみをふらせ
無名の生氣の大きい蒸氣に
いつともなく沈みながら。
[#地から1字上げ](武州折本村にて)

  四月の影

四月の霽《は》れたる午前のそよかぜは
村村のひそやかなる青紫の影を吹き
滴るばかりに細かな花の盛りを
ひかりと熱とのあきらかな炎に染めなし
もの皆うつとりとしめりのある影をたのしみ
かろき枝枝は大氣の匂ひを拂ひては地に塗る
かかるもの影を歩めるものこそ
いともやさしき靜かさにみたされ
はれやかなる雫のごとく玲瓏として
おのが心のうちに祕められたる
もつとも小さき、もつとも無心なる
新らしき情怨を花火のごとく身に焚いて
そのひそやかなる朝を尊ぶであらう。

  めぐりあひ

ふかい年月のあひだ僕のこころに
るゐるゐとしてかくれてゐた美しいものが
今こんなにも明るい地球の春の朝紅《あさやけ》となつて
寶玉をふくんだともし火のやうに
かくかくと僕の眼にうかんで來たのか
それは逢ふべくして逢へなかつた
心の城の姉妹のやうに
このきよらかな朝の境界線にたつて
ふたたびめぐりあひし喜び!
あらあらしかつた僕は今さらに
その尊い姉妹を尊敬しようとおもふ。

  大きさ

田舍にゐるとただ明るく大きくなりたい
大きい感じでいつぱいの靜かさとだんまりの
この上ないあたらしい透明な場所で
林から藪へ、川から畑へ
丘のまはりときれいな雲のまはり
はてしもない清新な眺めからくる風
その大きいあざやかな色と重みをもちたい
田舍の大きさこそ自然の中央で
誰もこの大きさに不服をとなへるものはない
萬象の目のさめるやうな大きさ
あらゆる小さい世界の最もはづれの
ああその無形な
孔雀いろにかがやいた四月のぐるり[#「ぐるり」に傍点]。

  寂寞

僕はそこここの植物の魔法のやうな色どりに
氣の弱いうすい情熱をひそめて行かう
身體中についてゐた音と影を
すき透るやうにふるひ落してしまつて
雜木林や畑のしめつた大氣にしたしみ
青青とした五時頃の靄を感じ
この地球がより深みへ廻り來り
よりやはらかな氣流に塗りかへられて
大きいエネルギーをたつぷりあびてゐる時に
空氣の笛をそつとふいて
どこまでも村村をつきぬけよう。

  去年と今年

去年の四月には
きよらかな血をもつた船乘りのやうに
僕はこの麥と木と夜の村を愛しながら
いちにち飽きる事もなく喜んでゐたのに
今年はまるで日の沒《い》りのやうに氣も重く
怨めしげな花と大氣の思ひにのりうつつて
ほのかな天の明暗のみ眺めながら
青ざめた一本の樅の木のやうに
自分のつらい孤獨な影を藪の上におとして
よびかへす事も出來ない昨日の艶情を
幽かな幻の色に描き
どうしてかうも夕暮の水の花を慕つてゐるのだらう。

  青胡瓜

昧爽《よあけ》の胡瓜をもいでくれ、從妹よ
風に洗はれる三日月のやうな眼つきをして
僕はその青い小さな錨を畑でたべよう
何よりもうれしく霧をかんじ、露にしみ
僕の目ざめを感じてゐて
朝燒けの光線に吹きつらぬかれ
僕の眺めの中に
鮮紅色の季節の娘のやうに扮裝して
朝の胡瓜をもいで來てくれ。

  大根の花

おしやれ娘よ、おしやれな
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