友よ
ではもうここらでお別れしよう
これから先は寂しい何もない處で
雜木林か畑のなかに
うす紫のほんのりした花が
何の氣もなく咲いてゐるばかりで
味もそつけもない、あたらしいいつもの風が
氣も弱さうに、はらはら吹いて
季節すぎの日の色が滴るばかり。

  幽閑

女達があちこちで
水のほとりの木の間や葉莖の影にひたつて
青い豆の莢をもいだりこぼしたりする時
品のよいまつ白な鷺の群れが
わびしげなる松の山邊をとぶとき
しめりふかい村村の大きい眺めにひたり
私はうすい煙草の煙りを
ほう/\とそこらの木陰にこめながら
用もない午後の照る日をさけて
一つの思ひを風にちらし、水にうつし
はるかなる星座をわたつてくる
明星色の新鮮なかがやきを
口笛にうつして靜かにあゆむ。

  明星

清雅な樅の立木の
すんなりした枝の上にあらはるる明星を
ひとり眺め、眺めては身に感じ
幽寂な色の夕ぐれをしたしまう、いそしまう
あかるいあのほんのりした光をあび
影を愛し、音色《ねいろ》を思ひ
月影色の誰かが、藍色の扇をひらき
遠い私をひそかに眺めてゐてくれるやうにと
その光の扇のさやかなる風に
身をふれよう、氣を清めよう。

  青金

一つの地球儀をしづかに庭へ置いて
ひらひらする多くの航海圖をひらき、よみふけり
影と光をもてる感覺をちらし、ちらし
シヤツにのぼつてくる花冠のやうな日ざしを
いつぱいに肩にうけて
さて僕は精神の港を自家の地面へ畫かう
青青とした金色の葉むらと日の光りに
さらさらと色づけられた六月の正午の
華やかな點景の中心として。

  水のほとりにての感想

幸福はとんでゐる
自然の快樂もとんでゐる
明るいあちこちの誰もゐない處に
一日の虹のうつりかはりと
めぐるあたらしい季節の馬車が
われわれの頭上いちめんに通行する
すき透り、吹きまはり
精神の尖端の波止場を優しく、美しく
爽かに、二重の耀きを水の面に見せて
朝紅から夕映えの尺度をもち
季節は麥の穗のやうに映り、映る。

  夏霞

つづられ懸る木の間の拱門《アーチ》から
水星いろに照りうかぶ野面ながめつつ
ちらちらと幹の影をぬひ
一歩一歩と水をしたひ、幽かなる空氣をうねり
髮をふかれ、感觸する枝に近より
片田舍の疎林を喜び、淋しみ
ほのかな蝶蝶が畫く風の點景を
わたしは青い西洋紙の手帳にうつして
はるばる村の果てよりくる日※[#「日/咎」、第3水準1−85−32]りに
うすい午後の情愁を吹き醒まさう。

  木の間深きを怨みて

私はここに坐り、ねむり又ひとり醒める
あまりに蒼艶なる爽かなけむりにつつまれて
光線のある愁ひの情を
青い響きのする石と水の闇にひそめ
まつ白な寺の壁にうつる六月の朝を
青銅色の姿にぬりこめつつ
うつうつたるこの頃の情念にむかつて
より夕暮のある、より感情ぶかい
きよらかな色洋燈を身に點さうか。

  情炎

朝風よ、霧のある庭よ
あたらしい葉をむらがらせた樅の下に
今日もわたしは生木の椅子を置いて
あの木の間から孔雀色の衣裳を引いて
しづかにあらはれた昨日の夕暮の
あでやかなりし人影を待つてゐる
鮮かなヂキタリスの花の塔の影や
あたりにちつてゐるムスカリの白い午前の色に
ほのかにのりくる遠い朝景色を
もう一つの空しい椅子の上いつぱいに眺めて
木の間からあらはれる虹色の頬の人を
朝風が艶やかに照り出してくれるまで。

  青梨

水よりしづかな、しづかな
葉がくれの、曇れる野の色に
つやつやした風のふるるところを愛せよ
その颯とした新らしい匂ひと
そのささやかな梨の實の
午前中の青い孤獨が
靜かな汝の眉の上に
畫のやうに懸かるところに立つて。

  智慧の輪

見わたすかぎりの雜草世界!
なんとすずやかな線や旗ではないか
匂ひと色とをはつらつと展べて
水の世界から陸と氣の世界をつづり
こまかな網翅類をよびあつめ
その清らかな智慧の輪を
空中につらね引まはし
どうしてそれをほどいたらよいのか
優しい祕密の花文字を
るゐるゐと私のまへに盛上げてくれるではないか。

  柚の花

幽蒼な庭の時計のほとりから
風致にしたたり、吹きかかり
精緻な、それでゐて品のよい思想がふる
白い鷺がうす曇りの水をとぶやうな

家の中のしづかな精神へ
正午の匂ひをあびせ、あびせ
蔭多い微妙なところから
すつきりとして青い、さらに白い
こまかな、つよい思想がちる。

  千鳥の帆走

空氣の笛を吹けよ、若者ら
爽涼たる寶石いろの砂原を
あちこちと帆走する千鳥を喜びながら
あの色のよい形と聲の
朝の半影を身にうつし、影を射つて
海青いろの波濤と岩との
このわびしい清らかな場所を
遊星の羽のやうに耀やかしめよ。

  水星

いまは地球がひつそりとして
あだかも水星の霧と曇りの眞下にあるのではないか
この蘆と水とのまんまんたる
片田舍の眺めを思へば
うつうつたる情怨のこもれる
又はしんめりと照り漂ふ夕の色の
青い遊星として寂寥ばかりの
星の時代が地球にもあつたであらう
その清らかな空中の旅よ

  風力計

單檣も、双檣も、四本檣も
噴水のやうに氣中に立てよ
若やかな夏の禾本科植物よ
われわれの野に照る感覺は
青くて圓い天の弧のなかに
ぐるり[#「ぐるり」に傍点]の地平線の圓盤上に
あちこちとすくすく立てる
みどりの風力計を發見して
われわれの散歩に恰度よい
場所と風位を空中に自記し
ありあり時を讀得る有難さ。

  莢

もめんづる[#「もめんづる」に傍点]や草合歡の
すきとほつた船を見よ
豆の橈手が十二人も乘りこんで
蕚《がく》の船首を空中にたて
大氣の濤に小さい造船所をのこして
六月のあかるい世界へ進水しよう、しようと。

  行進曲

蒿雀《あをじ》が鳴いて
水がしたたり
風が艶をぬり、雲が翳りを掃くのは
われわれのさびしい精神を
空中へ、より高みへおくる
あたらしい行進曲でなくて何か
その笛やシンバルを愛さずして
どうして野原を歩き廻れようか。

  紋章星座

それなら若い野あざみの發生状態を
空中の双眼鏡で垂直に見下ろさなければならない
葉が互生し、羽形に分裂し
刺状の鋸齒が四面にきれて
いきいきした眞青な紋章の星座が
はつきりと地上に浮彫されてゐるのを見る爲めには。
[#地から1字上げ]――畫家Sの話――

  蝶の出帆

蝶は出帆するよ
四月のすつきり高い枯草の突端から
毛蟲となつてよぢのぼり、よぢのぼり
その毛製の裝飾をぬぎすてて
陸界の波止場をけり
あたらしい氣體の世界へと
きれいな、綺麗な蝶と生れかはり
風に祝はれて出帆するよ。

  忍冬花を啖ふ

みんなして、たつぷり黄金いろした蔓を
ぼさぼさと引きまはして脣をすりつけ
六月のあかるい眞晝の蜜を吸はうよ
たまらなくはれやかな匂ひが
藪から出てくるわれわれを夢みがちに色づけ
女なぞは子持の白鳥のやうに
まきついた忍冬の花飾りを
むしやむしや啖べる季節になつたね。

  南かぜ

この曇り日に、いちめんの晝顏が
色のうすい風の盃をゆすり、ゆすり
あちこちと咲きまはつてゐるところ!
はるかに川邊のかたより、ゆるりかんと
帆は雲にふれて消えもせず、ふくらみもせず
陽氣な、それでゐてどことなくむなしい熱氣が
ぽつぽと空中にもえるとも感じらるる
田舍娘よ、ここへ來て寢ころぶといい
うすい孔雀いろに曇つた午まへは
うつくしい怠惰な色もわるくはない
眉をさつぱり落したやうな
この晝顏の淡々たる砂原では。

  幽棲

風致に乏しい畑のほとりの
さらさらなびける眞夏の柳は
晴れ曇り、色もあかるくこつくりと垂れてゐる
その中に午後の雀はかくれ、鳴きしきり
又はたはたととびさりて、風の音さやかに聞え
ひようひようと海近き空氣の鳴るばかり
雀よ、色も乏しく、もの寂びて
この七月の滿月近き晝すぎの白い月に
ちしやちしやと何を騷いでゐる
ゆるる柳の枝と葉の中には
われわれの目につかぬ無爲の幽居が
ちらちらと日光を通して空中にながれてゐるぞ。

  信仰への感覺

さらりとしたる新樹の枝枝に
うすももいろの五時の日が色づく
くたびれて、さてあらゆる興味も去り
昆蟲も滿足し、われわれも妙に淋しい時ではないか
少年よ、麥酒を買ひに走つておいで
こんなにも華やかにして寂寞たる
無人の林のつらなり、舂く日の照りかへし
私は空氣の色にやけ、日に乾いて
もう村を歩き廻る氣も起らぬ
かういふ時に、ああ古い鐘の音よ
私にかすかな、かすかな
大昔のやうな信仰への感覺が
うすうすと目ざめて來たならば
どんなに今の私は美しからうに。

  美しき冷感

障子をからからと開け放ち
さて水無月の灯を膝のほとりに引きよせて
宵の色こめたる野の面にふれよ
走る灯のはてはもうろうたる水となり
しつとりと藍いろの闇は獨座の裾をめぐる
あたらしき家の香を喜べ、私よ
傾けるオリオン星は肩のほとりに火花を與へ
ほのぼのもゆる庭のヂキタリスの影をはしる
おおこのひろびろとして、身にしみわたる
うつくしき我が宵の冷感!

  農婦について

眞夏の帆のまへに
頬には朝紅《あさやけ》、額には夕映をまきつけてゐる女達!
そしてゆつたりと歩み、麥をあふり
黒い眼には輪が廻つてゐる夜の焔たち!

  車前草の傲り

荒れはてたる砂原をあるく者は
寂寥たる言葉を、或は夕映色の眼鏡を
何等の魅力をももたぬ車前草にさへふりそそぐ
活然として傲れる車前草!
青い小さな鰐か紐のやうな若い花の髯
または花を彗星のやうにつけた老いたる花
くるくると空中に遊ぶ葉のむらがりに
快樂をそそぎ、風吹く午後の鬱血をそそぎ
一個の味氣なき驚異を發見したと叫ぶ。

  儀式

村へくると僕は肩の圭角をといて
足を歩くにまかして何の制限も加へず
眼のかがやくままに、血のあたたまるままに
正直に自分を風のなか日のなかに
ときほごし、ときほごし
大きい呼吸とのろい運動とにつれて
この地球への尊敬と愛情をそこら中へ
ゆつたりとしてふりまいて歩く

  棕櫚の花

空中から
青い扇をかさね、かさねて
棕櫚は黄金いろの花をひろげるよ
ねぼけてしまつた古い黄金の綱に
かすかな昔の回想を編んで
素朴な、素朴な、今時はやらない
もうろうとしたその回想を
まひるの人人の上に影としてひろげてゐるよ

  所有權

村村の靜かな地主達!
僕はこの立派な雜木林と草つ原の
あたらしい二重三重の權利を感情で爭ふ
僕は君達の風と大氣と精神を
木木がしつとりととりかこみ
どんなに地球の生の神神と
あでやかな季節の娘たちによつて
大きく味方され力を得てゐるかが
うらやましくてたまらないから。

  松の山

かさなり、うち重なり
松の山、更に松の山ばかり
いくら眺めても松ばかりの
あざやかな酸と、影つた緑青の
すが/\として味氣なき田舍景色よ
颯と朝の明星をかかげて
七月の白鷺の群れを放ち、はなち
ルビー色の火を焚けよ
はるかに障子のみ眞白な小家。

  旅行

旅をしよう、爽涼たる青年時代に
水星からでも降つて來た人のやうに
ちらちらする宵の情炎をおびて
怒濤のすぐ傍に坐つたり
古寺の幽繪のほとりを歩いたり
青ざめた博物館を通りぬけて
ただ二人のほかは星と町と村との
清らかな自然色の廣場があるばかりで
千鳥と千鳥がとぶやうに
春と秋との愛情をむすび、羽をそろへ
新らしい快樂の壺が破れるまで
影繪の人物のやうに旅をしよう。

  青根への道

馬上に、一人ゆれる椅子をかけ
空中にゆられ、風にゆられ
霧は眞青な落葉松の
矢ばねから矢ばねへはねかへり
幽かな空をわたり、つめたい木陰をつたひ
私は馬の廻るままに山をめぐる
得もいはれぬ靜かな朝のはれゆく愁ひよ
ゆたりゆたりと谿の上をそひ
もも色の花處女袴に眼をはなち
深みゆく山の影多き心を
霧いろに青む外套に蔽ひつつ。

  雪と瀧

空氣に色をつけよ
僕は谿の空中をへだてて
雪の山嶽の裂け目から
ぼうぼうと落下する瀧の花火を見つめる
こんなにも雪白な、生きた寫眞を
鮮かな感覺をもつて切斷し
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