してくれたおまへを歌ひ
海の扇をひらき、ひらき
清らかな胸のシンバルを叩きながら
さあ、お互ひが一つの新航路へ
いきいきとして漕ぎ出よう、漕ぎ出よう。

  幽艶

女よ、女よ
林中の
陰ふかいすずやかな部屋に灯がともり
おそき月木の間にさしいでて
影をまとひ、色をまとひ
愁ひつつ或は喜び、灯にうつり、影に入り
秋の匂やかな二つの眼をぢつとそそいで
夜に塗られた銀と藍との衣裳を引きゆたね
小さい扇のやうな盃をあげしほの明るかつた時は
曉色なすいつの夏の夜であつたらうか。

ひそかに、ひそかに、女よ、思ひ出て見よ
枝はさつさと風をはらひ、水は月影をふくみ、ふくみ
もうろうと煙の如く醉へば
涼やかなる幽情は灯を消し、月をさへぎり
ほの青き霧の風景を部屋にしづめて
雨の匂ひを感じ、美しき夜氣を點じ
うす紅色の頬に朝のくるまで
その黒髮のふかいものの氣を竹林のやうに
あの木の間の月に洗ひ清めた時は
いかに微かな幽玄なる時代であつたらうか。

  四月の人人

あつい四月の朝の山のなかを
まつ赤になつてせつせとあるきながら
僕は一生懸命に花をつけてゐる名も知らぬ木の花を
おまへの手がもちきれぬほどへし折つては
ふしぎに重たい黄金の旗を引きあげるやうに
ほのかな灌木のなかへおまへをさそひこみ
藤色と黒の衣裳がうすら赤い天城特有の
よい匂ひのする石楠花の花に引つかかつて
さわさわとかがやき日の色にあやめもわかず
朝の紅がおまへの美しい肉にしみ出るまで
どんなに元氣よく歩いたらう

あのおびただしい爽かな空色とうす黄の花が
まつ毛をいつぱいに照る天氣に魅入られ
おまへと僕をほんのりとすき透してしまつて
うす紫の影のある涼しい歡喜が
天然の色のまま名もない木木の花の房を
まるで生きた祭りの
鮮かな情慾のやうに染めたつけ

おまへはあをあをとした孔雀のやうに
僕をいつぱいに愛してゐてくれて
惜しげもなくそのふくよかな羽や瞳を
この山中の枝枝と日の影の方へちらばしてくれるし
僕はこの重たい春の日のつやつやした情熱を
濕りのあるふかい思想のやうにあたため
そのまま滿ちあふれるおまへの呼吸を
つよい肉情の楯のみで
どうして防いでゐられよう
僕はどうして山がこのやうに花と大氣を背負うて
うつとりとしてゐるかをうすうす感じながら
おまへがよりかかつた石楠花の木の花のやうに
全身にすつかり風と熱とをつけて
新らしいおまへを祭り得る力を得たこの腕を
どんなにか匂ひのよい谿の空中へとうちふつて
自分の狂氣をうたひ、無智や本能をうたひ
おまへに僕の精神のいつさいの機能を
何の苦もなく捧げてしまはうと努力したらう。

  春日遊行

おおわれわれのはれやかな
喜びにもえてゐる車がそこに到着したとき
古い千年も昔の都であつた山の村村は
どんなにか春の日に色づいて
うすうすとした水蒸氣にぬれ
いろいろな木の花や蒼ざめた廢道や寺寺を
大きな日時計のやうに
影と形をもつて地の上に畫いてゐてくれたらう

われわれは杉の匂ひにしめつてゐる大きい寺へ
わかい櫻がほんのりとふかれてゐる四ツ辻へ
時ならぬ色や音をこぼしながら
あたらしい影と日を塗つたり亂してゆくけれど
しづかに埋もれてゐる都の記念物や
土壁や石や青青とした建物や寺寺も
あざやかに濕つてゐる風にうつり
ほのかな空氣の中にあらはれてくる

われわれは見る事より思ふ事によつて
さまざまな美しいかがやきを認めたり
古い時間の青い花を見つけ
重たい明暗にしづむ寺院の深さや
樓船のやうな古い木の山門を
われわれの感覺の觸冠でこすつたり
その奧底に沁みてゐる立派な思想や裝飾を
晝の感情の黄金時計で見つめたり
一千年の幽かな大氣の幕をあげたり下したりして
しんしんとしたものの靈と靜かな形を
あをあをと身に印刷するやうに見てあるく

われわれは槇や檜のうすら青い華やかさに
しんめりと濡れたり日に染まるだけそまつて
中世紀の都の人人のふかい考へや信仰にふれ
青艶な黄金と黒との佛像ををがみ
建物の幽麗な古いかをりに悲しくされて
いかにこの古い都が美しかつたか
光華印刷のやうにあたらしかつたか
そのかすかな情熱の夕映を
今木の間や苔のある岩の上にちらちらと
おひつめながらはてしなき大樹のほとりをさまよふ

一千年のあきらかな日と夜の色どり
あかるい鮮麗な大氣の中のうつりかはり
ただ感ずる事によつてしづしづと
われわれをとりまきかがやかしめる思想のやうに
名も知れぬ昔からの木の花と
草やら影でいつぱいの崖も十字路もあばらやも
ひつそりと寂寞の谿にかくしてゐる村
われわれは戀人をつれ生の寶玉をつれ
その古い無形の都に影とともにすすみ入り
春の日の砂金と常盤木の群青をもつて一本の歩行線を畫く

われわれの歡喜はうすい水や花でいつぱいである
地中に埋もれ死滅した都の幽かな燈花にうつり
春の日のふかい大きい奧底の
きらびやかなる闇の力や時間の奇蹟にとざされて
青銅の室内へはひつてゆくやうに
美しい肖像や器具や
あるひは武器と衣裳と大きい寺院の
さらに重たい星色の墓や英雄の名でいつぱいの
このふしぎな村のもうろうたる鬼氣にふれて

そしてわれわれは又そこの夕暮をはなれる
からからといふ生の時計の馬車をかつて
村から村へ村から港へとかへりながら
もう一度日沒の下にある村村をかへり見て
われわれのふかい心の印象畫を
いつそうしつとりとした幽愁の名に染めながら。
[#地から1字上げ](鎌倉圓覺寺所感)

  ここに輯めた詩に就いて

ここに輯めた詩は、こと/″\く最近の作で「華やかな散歩」と「荒野の娘」をかいてから後の、私の變化を語る一つの素描風な短章といつたやうな意味の小曲集である。私は過去の作を再び單行本にすることを好まないと同時に、未來に於て美しく出發せんとする若き人人につれて、たえず私の現在の眞只中から飛躍しよう出帆しようとする者である。私は私の固定を恐れ、定評を嫌ふ。さういふ意味でこの習作的短章も、「荒野の娘」から、この秋に出版する「海洋詩集」への過渡に於ける、春と夏との淡彩な鉛筆畫といふ風に見て頂けば幸ひである。
[#地付き](琉球へ漂流的旅行に出發する前日。)



底本:「日本現代文學全集 54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」講談社
   1966(昭和41)年8月19日初版第1刷
   1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷
初出:「季節の馬車」新潮社
   1922(大正11)年7月発行
入力:川山隆
校正:土屋隆
2008年10月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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