ひだ僕のこころに
るゐるゐとしてかくれてゐた美しいものが
今こんなにも明るい地球の春の朝紅《あさやけ》となつて
寶玉をふくんだともし火のやうに
かくかくと僕の眼にうかんで來たのか
それは逢ふべくして逢へなかつた
心の城の姉妹のやうに
このきよらかな朝の境界線にたつて
ふたたびめぐりあひし喜び!
あらあらしかつた僕は今さらに
その尊い姉妹を尊敬しようとおもふ。
大きさ
田舍にゐるとただ明るく大きくなりたい
大きい感じでいつぱいの靜かさとだんまりの
この上ないあたらしい透明な場所で
林から藪へ、川から畑へ
丘のまはりときれいな雲のまはり
はてしもない清新な眺めからくる風
その大きいあざやかな色と重みをもちたい
田舍の大きさこそ自然の中央で
誰もこの大きさに不服をとなへるものはない
萬象の目のさめるやうな大きさ
あらゆる小さい世界の最もはづれの
ああその無形な
孔雀いろにかがやいた四月のぐるり[#「ぐるり」に傍点]。
寂寞
僕はそこここの植物の魔法のやうな色どりに
氣の弱いうすい情熱をひそめて行かう
身體中についてゐた音と影を
すき透るやうにふるひ落してしまつて
雜木林や畑のしめつた大氣にしたしみ
青青とした五時頃の靄を感じ
この地球がより深みへ廻り來り
よりやはらかな氣流に塗りかへられて
大きいエネルギーをたつぷりあびてゐる時に
空氣の笛をそつとふいて
どこまでも村村をつきぬけよう。
去年と今年
去年の四月には
きよらかな血をもつた船乘りのやうに
僕はこの麥と木と夜の村を愛しながら
いちにち飽きる事もなく喜んでゐたのに
今年はまるで日の沒《い》りのやうに氣も重く
怨めしげな花と大氣の思ひにのりうつつて
ほのかな天の明暗のみ眺めながら
青ざめた一本の樅の木のやうに
自分のつらい孤獨な影を藪の上におとして
よびかへす事も出來ない昨日の艶情を
幽かな幻の色に描き
どうしてかうも夕暮の水の花を慕つてゐるのだらう。
青胡瓜
昧爽《よあけ》の胡瓜をもいでくれ、從妹よ
風に洗はれる三日月のやうな眼つきをして
僕はその青い小さな錨を畑でたべよう
何よりもうれしく霧をかんじ、露にしみ
僕の目ざめを感じてゐて
朝燒けの光線に吹きつらぬかれ
僕の眺めの中に
鮮紅色の季節の娘のやうに扮裝して
朝の胡瓜をもいで來てくれ。
大根の花
おしやれ娘よ、おしやれな友よ
ではもうここらでお別れしよう
これから先は寂しい何もない處で
雜木林か畑のなかに
うす紫のほんのりした花が
何の氣もなく咲いてゐるばかりで
味もそつけもない、あたらしいいつもの風が
氣も弱さうに、はらはら吹いて
季節すぎの日の色が滴るばかり。
幽閑
女達があちこちで
水のほとりの木の間や葉莖の影にひたつて
青い豆の莢をもいだりこぼしたりする時
品のよいまつ白な鷺の群れが
わびしげなる松の山邊をとぶとき
しめりふかい村村の大きい眺めにひたり
私はうすい煙草の煙りを
ほう/\とそこらの木陰にこめながら
用もない午後の照る日をさけて
一つの思ひを風にちらし、水にうつし
はるかなる星座をわたつてくる
明星色の新鮮なかがやきを
口笛にうつして靜かにあゆむ。
明星
清雅な樅の立木の
すんなりした枝の上にあらはるる明星を
ひとり眺め、眺めては身に感じ
幽寂な色の夕ぐれをしたしまう、いそしまう
あかるいあのほんのりした光をあび
影を愛し、音色《ねいろ》を思ひ
月影色の誰かが、藍色の扇をひらき
遠い私をひそかに眺めてゐてくれるやうにと
その光の扇のさやかなる風に
身をふれよう、氣を清めよう。
青金
一つの地球儀をしづかに庭へ置いて
ひらひらする多くの航海圖をひらき、よみふけり
影と光をもてる感覺をちらし、ちらし
シヤツにのぼつてくる花冠のやうな日ざしを
いつぱいに肩にうけて
さて僕は精神の港を自家の地面へ畫かう
青青とした金色の葉むらと日の光りに
さらさらと色づけられた六月の正午の
華やかな點景の中心として。
水のほとりにての感想
幸福はとんでゐる
自然の快樂もとんでゐる
明るいあちこちの誰もゐない處に
一日の虹のうつりかはりと
めぐるあたらしい季節の馬車が
われわれの頭上いちめんに通行する
すき透り、吹きまはり
精神の尖端の波止場を優しく、美しく
爽かに、二重の耀きを水の面に見せて
朝紅から夕映えの尺度をもち
季節は麥の穗のやうに映り、映る。
夏霞
つづられ懸る木の間の拱門《アーチ》から
水星いろに照りうかぶ野面ながめつつ
ちらちらと幹の影をぬひ
一歩一歩と水をしたひ、幽かなる空氣をうねり
髮をふかれ、感觸する枝に近より
片田舍の疎林を喜び、淋しみ
ほのかな蝶蝶が畫く風の點景を
わたしは青い西洋紙の手帳にうつして
はるばる村の果てよりく
前へ
次へ
全9ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 惣之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング