る日※[#「日/咎」、第3水準1−85−32]りに
うすい午後の情愁を吹き醒まさう。

  木の間深きを怨みて

私はここに坐り、ねむり又ひとり醒める
あまりに蒼艶なる爽かなけむりにつつまれて
光線のある愁ひの情を
青い響きのする石と水の闇にひそめ
まつ白な寺の壁にうつる六月の朝を
青銅色の姿にぬりこめつつ
うつうつたるこの頃の情念にむかつて
より夕暮のある、より感情ぶかい
きよらかな色洋燈を身に點さうか。

  情炎

朝風よ、霧のある庭よ
あたらしい葉をむらがらせた樅の下に
今日もわたしは生木の椅子を置いて
あの木の間から孔雀色の衣裳を引いて
しづかにあらはれた昨日の夕暮の
あでやかなりし人影を待つてゐる
鮮かなヂキタリスの花の塔の影や
あたりにちつてゐるムスカリの白い午前の色に
ほのかにのりくる遠い朝景色を
もう一つの空しい椅子の上いつぱいに眺めて
木の間からあらはれる虹色の頬の人を
朝風が艶やかに照り出してくれるまで。

  青梨

水よりしづかな、しづかな
葉がくれの、曇れる野の色に
つやつやした風のふるるところを愛せよ
その颯とした新らしい匂ひと
そのささやかな梨の實の
午前中の青い孤獨が
靜かな汝の眉の上に
畫のやうに懸かるところに立つて。

  智慧の輪

見わたすかぎりの雜草世界!
なんとすずやかな線や旗ではないか
匂ひと色とをはつらつと展べて
水の世界から陸と氣の世界をつづり
こまかな網翅類をよびあつめ
その清らかな智慧の輪を
空中につらね引まはし
どうしてそれをほどいたらよいのか
優しい祕密の花文字を
るゐるゐと私のまへに盛上げてくれるではないか。

  柚の花

幽蒼な庭の時計のほとりから
風致にしたたり、吹きかかり
精緻な、それでゐて品のよい思想がふる
白い鷺がうす曇りの水をとぶやうな

家の中のしづかな精神へ
正午の匂ひをあびせ、あびせ
蔭多い微妙なところから
すつきりとして青い、さらに白い
こまかな、つよい思想がちる。

  千鳥の帆走

空氣の笛を吹けよ、若者ら
爽涼たる寶石いろの砂原を
あちこちと帆走する千鳥を喜びながら
あの色のよい形と聲の
朝の半影を身にうつし、影を射つて
海青いろの波濤と岩との
このわびしい清らかな場所を
遊星の羽のやうに耀やかしめよ。

  水星

いまは地球がひつそりとして
あだかも水星の霧と曇りの眞下にあるのではないか
この蘆と水とのまんまんたる
片田舍の眺めを思へば
うつうつたる情怨のこもれる
又はしんめりと照り漂ふ夕の色の
青い遊星として寂寥ばかりの
星の時代が地球にもあつたであらう
その清らかな空中の旅よ

  風力計

單檣も、双檣も、四本檣も
噴水のやうに氣中に立てよ
若やかな夏の禾本科植物よ
われわれの野に照る感覺は
青くて圓い天の弧のなかに
ぐるり[#「ぐるり」に傍点]の地平線の圓盤上に
あちこちとすくすく立てる
みどりの風力計を發見して
われわれの散歩に恰度よい
場所と風位を空中に自記し
ありあり時を讀得る有難さ。

  莢

もめんづる[#「もめんづる」に傍点]や草合歡の
すきとほつた船を見よ
豆の橈手が十二人も乘りこんで
蕚《がく》の船首を空中にたて
大氣の濤に小さい造船所をのこして
六月のあかるい世界へ進水しよう、しようと。

  行進曲

蒿雀《あをじ》が鳴いて
水がしたたり
風が艶をぬり、雲が翳りを掃くのは
われわれのさびしい精神を
空中へ、より高みへおくる
あたらしい行進曲でなくて何か
その笛やシンバルを愛さずして
どうして野原を歩き廻れようか。

  紋章星座

それなら若い野あざみの發生状態を
空中の双眼鏡で垂直に見下ろさなければならない
葉が互生し、羽形に分裂し
刺状の鋸齒が四面にきれて
いきいきした眞青な紋章の星座が
はつきりと地上に浮彫されてゐるのを見る爲めには。
[#地から1字上げ]――畫家Sの話――

  蝶の出帆

蝶は出帆するよ
四月のすつきり高い枯草の突端から
毛蟲となつてよぢのぼり、よぢのぼり
その毛製の裝飾をぬぎすてて
陸界の波止場をけり
あたらしい氣體の世界へと
きれいな、綺麗な蝶と生れかはり
風に祝はれて出帆するよ。

  忍冬花を啖ふ

みんなして、たつぷり黄金いろした蔓を
ぼさぼさと引きまはして脣をすりつけ
六月のあかるい眞晝の蜜を吸はうよ
たまらなくはれやかな匂ひが
藪から出てくるわれわれを夢みがちに色づけ
女なぞは子持の白鳥のやうに
まきついた忍冬の花飾りを
むしやむしや啖べる季節になつたね。

  南かぜ

この曇り日に、いちめんの晝顏が
色のうすい風の盃をゆすり、ゆすり
あちこちと咲きまはつてゐるところ!
はるかに川邊のかたより、ゆるりかんと
帆は雲にふれて消えもせず、ふくらみもせず
陽氣な、それで
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