く》した湾に少年たちが名づけた名称《めいしょう》である。
「あれはなんだろう」
 イルコックがとつぜん右のほうを指さしてさけんだ。そこには大きな石が、石垣《いしがき》のごとく積まれて、しかもそのなかばはくずれていた。
「この石垣は、人手でもって積んだものにちがいない、して見ると、ここに人が住んでいたと思わなきゃならん」
「それはそうだ、たしかに舟をつないだところだ」
 反対ずきのドノバンも賛成した。そうして草のあいだにちらばっている、木ぎれを指さした。一つの木ぎれは、たぶん、舟のキールであったものだろう、そのはしに、一つの鉄のくさりがついていた。
「だれかがここへきたことがある」
 四人は思わず顔を見あわした、このぼうぼうたる無人の境《さかい》に、住まったものははたしてだれか。四人はいまにも、ぼうぼうたる乱髪《らんぱつ》のやせさらばえた男が、草のあいだから顔を出すような気がして、あたりを見まわした。
 ひとりとしてものもいうものはない、四人はだまって想像《そうぞう》にふけった。木ぎれは蘚苔《せんたい》にくさって、鉄環《てつわ》は赤くさびている、風雨|幾星霜《いくせいそう》、この舟に乗った人は、いまいずこにあるか、かれはどんな生活をして、どんなおわりをとげたか。
 草をわけ枝をむすんで、長いあいだここにくらしていたが、救いの舟もきたらず、ついにこのさびしい石垣のなかにたおれて、骨を雨ざらしにしたのか。それは人の身の上、いまや自分たちもまた、それと同じき運命にとらえられているのだ。
 ちょうぜんとして感慨《かんがい》にふけっていると、とつぜん猟犬フハンは二つの耳をきっと立てて尾をまたにはさみながら、地面の上をかぎまわった。かれは右にゆき、左にゆき、またなにかためらうように見えたが、たちまち一方の木立ちをさしてまっすぐに走った。
「なんだろう」
 一同はフハンのあとについていった、フハンは、ちくちくとおいしげる木立のなかに突進《とっしん》したが、なにを思うたか、一本のぶなの木の下に立ちどまって、高く声をあげた。一同はぶなの木を見ると、その幹《みき》の皮をはぎとったところに、なにやら文字がきざみつけてあった。
[#ここから4字下げ]
S. Y.
1807
[#ここで字下げ終わり]
 一同がそれを読んでるうちに、フハンはふたたび疾風《しっぷう》のごとく岩壁《がんぺき》をかけのぼって、とうとうすがたが見えなくなった。
 とやがて、ただならぬフハンのほゆる声がおこった。
「ゆこう、なにかあるんだろう」
 富士男がまっさきに走った。
「気をつけろよ、短銃《たんじゅう》をポケットから出しておくれ」
 一同は岩壁《がんぺき》をまわってゆくと、ドノバンはそこで一個のすきを拾った。
「やあ、ふしぎだなあ」
 あたりを見まわすと、そのへんに耕作《こうさく》のあとがある、いもは野生に変じて、一面に地の上をはうている。
「野菜《やさい》をつくって生きていたのだ」
 こう思うまもなく、フハンはまたしても二つ三つさけび声をあげた。一同はフハンのあとについてゆくと、荊棘《けいきょく》路《みち》をふさぎ、野草が一面においしげて、なにものも見ることができない。富士男は草をはらいはらいして、なかをのぞいてみると、そこにうす暗い洞穴《ほらあな》の入り口を見た。
「待てよ」
 富士男は勇み立つ三人をとめて、かれ草をあつめてそれに火をともし、洞穴へさしいれた、そうして空気に異状《いじょう》がないのを見て、一同は洞穴のなかへはいった。洞穴の口は高さ五尺、はば二尺にすぎないが、はいってみると、かつぜんと内部は広くなり、二十尺四方の広間《ひろま》となり、地上にはかわいた砂をしきつめてあった。
 室の右方に一きゃくのテーブルがあり、テーブルの上に土製の水さしや、大きな貝がらがあった、貝がらはさらに用いられたものらしい、赤くさびたナイフ、つり針、すずのコップもある。壁ぎわの木箱には、衣服の布《ぬの》がぼろぼろになってすこしばかりのこり、奥のほうの寝台にはわらがしいてあり、木製のろうそく立てもある。
 富士男は寝台の上の古毛布《ふるもうふ》をつえの先でおこしてみたが、そこにはなにもなかった。
 四人は洞穴を検査《けんさ》して外へ出ると、フハンはまたもや狂気のごとく走った、それについて川をくだると、大きなぶなの木の下に、一|堆《たい》の白骨があった。これこそ洞穴の主人の遺骸《いがい》であろう。
 四人はだまって白骨をみつめた。ああ白骨! これはなんぴとの果《は》てであるか?
 破船の水夫が、この地に漂着《ひょうちゃく》して救いを待つうちに、病死したのであろうか、かれが洞中《どうちゅう》にたくわえた器具は、木船から持ってきたのであろうか、ただしは、自分がつくったのであろうか、それはともかくとして、もしこの地が大陸につづいているなら、かれはここに長くとどまらずに、もっともっと内地のほうへ進んでゆきそうなものだ、それもせずにここで死んだのは、この地がはなれ島であるしょうこでなかろうか。
この人さえも救いをえずに、ここで死んだとすれば、ぼくらもとうてい救われる道はあるまい。
 四人はふたたび洞穴へかえって、いま一度、内部をくわしく検査することにした。洞穴の四方の壁は花崗岩《かこうがん》で、すこしの湿気《しっけ》もなく、また海からの潮風もふせぐことができる、内部は畳数《たたみかず》二十三枚だけの広さだから、十五人の連盟《れんめい》少年を、いれることができる。
 一同はそれから、すみずみからいろいろな器具を発見した、そのうちにドノバンが夜具《やぐ》をうちかえすと、一さつの手帳があらわれた。
「やあ、これはなんだろう」
 サービスは顔をよせて、手帳をのぞいた。
「なんだかわからない字だ」
「エジプトの字だよ」
「支那《しな》の字だ」
 三人がののしりさわぐのをきいて、富士男もそばによった。
「なんだろう、これは」
「どれどれ」
 富士男は手帳をちらと見た。
「やあ日本の文字だ」
 一同はおどろいて富士男の顔を見やった。
「ぼくの国の文字だ、ぼくはニュージーランドで生まれたけれども、父と母に日本の字を習ったからよく読める、だがこれは紙が古くなり字が消えてるから、読みようがない、しかし……」
 かれはしずかにページをくって、おわりのほうを読んだ、それはとくに大きく書いてあったので、やっと読むことができた。
「山田左門《やまださもん》」
「山田?」
「山田!」
 声々がいった。
「さっきのぶなの木にきざんだS・Yは、やっぱりそれだった」
 と富士男は説明した。
「そうか日本人か」
 人々はますますおどろいた。万里《ばんり》の異域《いいき》に同胞《どうほう》の白骨を見ようとは、富士男にとってあまりに奇異《きい》であり感慨《かんがい》深きことがらであった。
 と、ドノバンは手帳のあいだから一枚の紙をみつけた。
「地図だ」
「おう」
 破《やぶ》らぬようにしずかにひらくと、疑いもなく地図である、それは山田がとくに念入《ねんい》りに書いたものらしい。四人はひと目それを見るやいなや、一度に声をあげた。
「やっぱり島だ」
「うん、島だ」
「四方が海だ」
「島だからゆきどころがなくなって死んだのだ」
「ぼくらもだめかなあ」
 ぼうぜんと立ちつくす三人をはげまして、富士男は洞穴を出て、もとのぶなの木の下にきて地をほり、ていねいに白骨を埋葬《まいそう》した。
「ねえきみ」
 と富士男は感激《かんげき》の眼に涙をたたえて、三人にいった。
「日本は世界じゅうでもっとも小さな国だが、日本人の度量《どりょう》は、太平洋よりも広いんだ、昔から日本人は海外発展に志《こころざ》して、落々《らくらく》たる雄図《ゆうと》をいだいたものは、すこぶる多かったのだ、この山田という人は通商《つうしょう》のためか、学術研究のためか、あるいは宗教のためか、どっちか知らないが、図南《となん》の鵬翼《ほうよく》を太平洋の風に張った勇士にちがいない、それが海難にあって、無人境の白骨となったとすれば、あまりに悲惨《ひさん》な話じゃないか、だがけっして犬死《いぬじ》にでなかった、山田は数十年ののちに、その書きのこした手帳が、なんぴとかの手にはいるとは、予期《よき》しなかったろうと思う、絶海《ぜっかい》の孤島《ことう》だ、だれがちょうぜんとして夕陽《ゆうひ》の下に、その白骨をとむらうと想像《そうぞう》しえよう、それでもかれは、地図をかいた、その地図は、いまぼくらの唯一《ゆいつ》の案内者となり、その洞穴は、いまぼくらの唯一の住宅となった。ぼくははじめて知った、人間はかならずのちの人のために足跡をのこす、いやのこさなければならんものだ、それが人間の義務だ、だからぼくらものちの人のために、りっぱな仕事をして、りっぱな行ないをつまなければならん、人間はけっして、ひとりでは生きてゆけない、死んだ人でも、のちの人を益《えき》するんだからね、ぼくはいまそれがわかった、きみらはどう思うかね」
「むろん賛成《さんせい》だ」
 とサービスがいった。
「みなでこの恩人《おんじん》に感謝《かんしゃ》しようじゃないか」
 四人は一|抔《ぼう》の土にむかって合掌《がっしょう》した。

     協力

 殉難《じゅんなん》の先人山田左門の白骨をぶなの木の下にほうむった四人は、山田ののこした地図をたよりに洞外《どうがい》に流るる河にそうて北西をさしてまっすぐにくだった。ゆくときの困難《こんなん》にひきかえて、帰りは一歩も迷《まよ》うところなく、わずか六時間でサクラ湾《わん》の波の音をきくことができた。もう日はまったく暮れたが、船中でるすをしていたゴルドンは、たえず船の上からのろしをあげていたので、四人はそれを目あてにぶじサクラ号に帰ることができた。
 その翌日、一同は甲板《かんぱん》に集まって、遠征隊《えんせいたい》四人の報告をきき、いよいよ冬ごもりの準備にとりかかることにきめた。
 山田の地図によると、この島は東西十里(四十キロメートル)南北二十里(八十キロメートル)であるが、山田がこの島で一生をおわったところをもってみると、訪《と》う人もなき絶海《ぜっかい》の孤島《ことう》にちがいない。しかも秋はすでに去らんとして冬は眼前にせまっている、烈風《れっぷう》ひとたびおそいきたらばサクラ号はまたたくまに波にのまれてしまうだろう。
「だからいまのうちに山田の洞《ほら》にひっこさなければならん」
 とゴルドンはいった。
「ひっこすといっても、船の諸道具《しょどうぐ》や食料などを運ぶには、少なくとも一月《ひとつき》はかかるだろう。そのあいだ、みなはどこに宿るか」
 とドノバンはいった。
「河のほとりにテントを張ることにしよう」
「それにしても、この船をといて洞《ほら》まで持ってゆくのは、なかなかよういなことではないよ」
 なにかにつけて他人の意見に反対したがるドノバンはいった。
「きみのように反対ばかりしては、仕事がはかどらないよ。人の意見に反対するなら、まずきみの意見をいってくれたまえ」
 と富士男はいった。
「ぼくは洞穴にひっこんで冬ごしをするよりも、このまま船のなかにいるほうがいいと思う。船におればここを通る船に救われまいものでもない」
「それにはぼくは賛成《さんせい》ができない。このばあい、ほかから助けを待つべきでない。ぼくら自身の力で、ぼくらの生命をまもる決心をしなければならん」
「それでは永久に洞穴のなかにいて餓死《がし》するつもりか」
「餓死するつもりではない、ただぼくらはいかなるばあいにも、他人の助けをあてにせず、自分で働きたいと思うだけだ」
 ドノバンと富士男はまたしても衝突《しょうとつ》した。
「ドノバン君、ぼくらのサクラ号はもう半分以上こわれかけてるんだ、船にとどまるといってもとどまれないのだ。だからぼくらは洞穴のなかで冬をこして、その間にここへ旗《はた》を立てておけば、通航《つうこう》の船が見つけて助けてくれるかもしれんじゃないか」
 ゴルドンは両者のあいだには
前へ 次へ
全26ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 紅緑 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング