、まったく白泡《しらあわ》のなかに、のまれてしまったのである。
「ひけッひけッひけッ!」
モコウはまっさきにとんできて、綱をひいた、ゴルドン、サービス、ガーネット、いずれも死に物ぐるいになって綱をひいた。
やがてふなばた近く、富士男のからだがあらわれた。
「残念《ざんねん》だッ」
かれは波にぬれた頭をふっていった。
「しかたがないよ」
「うん」
富士男は船にあがるやいなや、ばったりたおれたまま、ものもいえなかった。
陸との交通は、まったく絶望《ぜつぼう》におわった。しかも正午《ひる》すぎになると、潮は見る見るさしはじめて、波はますますあらくなった。このままにうちすてておくと、満潮《まんちょう》にさらわれて、船が他の岩角にたたきつけられるのは、わかりきったことである。一同は不安の胸をとどろかしながら、だまって甲板《かんぱん》に立ったまま、ただ天にいのるよりほかはなかった。
「ちいさい人たちだけは助けたいものだなあ」
富士男はやっとつかれから回復《かいふく》していった。
「ぼくらが助からないのに、ちいさいやつらが助かるかい」
とドノバンはいった。
このとき異様《いよう》な震動《しんどう》とともに、幼年者たちの泣き声がきこえた。
「巨波《おおなみ》がきた! 巨波がきた!」
幼年者はたがいに、しっかりとだきあった。
「死ぬならいっしょだ」
とゴルドンがさけんだ。船はギイギイと二度ばかり音をたてた、岩礁《がんしょう》の上は、まったく雪のごとき噴沫《ふんまつ》におおわれた、ゴウッというけたたましいひびきとともに、船はふわふわと半天《はんてん》にゆりあげられる。と思うまもなく、モコウのさけび声がきこえた。
「しめたッ」
もう死なばもろともと、眼をつぶっていた少年たちは、一度にたちあがった。
「浜へきた!」
悲しみの声は、一度に笑いの声となった。
「やあふしぎだ」
「波があの大きな岩をこえて、船を砂浜へ運んでくれたのだ」
「バンザアイ」
一同は思わずさけんだ。
「まったく天佑《てんゆう》だ」
富士男はこういってゴルドンにむかい、
「だが船は、ふたたび波にさらわれるかもしれない、とにかく、さしむき、ちいさい人たちの住まいを、きめなきゃならんね、きみとふたりで探検《たんけん》しようじゃないか」
「うん、ぼくもそう思ってたところだ」
ふたりは甲板《かんぱん》をおりて、森のほうをさして歩きだした。
森のかなたには小さな川がある。もしこの地に人が住んでいるなら、川口に舟の一そうや二そうは見えべきはずだが、いっこうそれらしきものも見えない。ふたりがだんだん森をわけてゆくと、樹木は太古《たいこ》のかげこまやかに、落ち葉は高くつみかさなったまま、ふたりのひざを没するばかりにくさっている。右を見ても左を見ても、人かげがない、寂々寥々《せきせきりょうりょう》、まれに飛びすぐるは、名もなき小鳥だけである。
森をいでて川にそうてゆくと、びょうびょうたる平原である、これではまったく無人島にちがいない、むろん住むべき家があるべきはずがない。
「やっぱり船にとまることにしよう」
ふたりは船へ帰って、一同にこのことをかたり、それから急に、修繕《しゅうぜん》にとりかかった。船はキールをくだかれ、そのうえに船体ががっくりと傾斜《けいしゃ》したものの、しかし風雨をふせぐには十分であった。まず縄梯子《なわばしご》を右のふなばたにかけたので、幼年組は先をあらそうて梯子をおり、ひさしぶりで、陸地をふむうれしさに、貝を拾ったり、海草《かいそう》を集めたりして、のどかな唄《うた》とともに、活気が急に全員の顔によみがえった。
モコウはさっそく、サービスの手を借りて、じまんの料理をつくった。富士男、ゴルドン、ドノバンの三人は、もしも猛獣《もうじゅう》や蕃人《ばんじん》などが襲来《しゅうらい》しはせぬかと、かわるがわる甲板に、見張りをすることにきめた。
翌日富士男は、おもむろに持久《じきゅう》の策《さく》をこうじた、まず第一に必要なのは、食料品である。船の所蔵品をしらべると、ビスケット、ハム、腸《ちょう》づめ、コーンビーフ、魚のかんづめ、野菜《やさい》等、倹約《けんやく》すれば二ヵ月分はある。だがそのあいだに、銃猟《じゅうりょう》や魚つりでもっておぎないをせねばならぬ、かれは幼年組につり道具をやって、モコウとともに魚つりにだしてやった。
それからかれは、他の物品を点検《てんけん》した。
大小の帆布《はんぷ》、縄類《なわるい》、鉄くさり、いかり一式、投網《とあみ》、つり糸、漁具《りょうぐ》一式、スナイドル銃八ちょう、ピストル一ダース、火薬二はこ、鉛類《えんるい》若干《じゃっかん》。
信号用ののろし具一式、船上の大砲の火薬および弾丸《だんがん》。
食器類一式。
毛布、綿、フランネル、大小ふとん、まくら。
晴雨計二、寒暖計一、時計二、メガホン三、コンパス十二、暴風雨計《ぼうふううけい》一、日本国旗と各国旗|若干《じゃっかん》、信号旗一式、大工道具《だいくどうぐ》、はり、いと、マッチ、ひうち石、ボタン。
ニュージーランド沿岸《えんがん》の地図、世界地図、インキ、ペン、鉛筆《えんぴつ》、紙、ぶどう酒。
英貨《えいか》若干《じゃっかん》。
正午《ひる》ごろにモコウは、幼年組をつれて、たくさんの貝を拾って帰ってきた、モコウの話によると、岩壁《がんぺき》のところに、数千のはとが遊んでいるというので、猟《りょう》じまんのドノバンは、あす猟にゆくことにきめた。
この夜は、バクスターとイルコックが、甲板《かんぱん》に見張りした。
そもそもこの地は、はなれ島であるか、大陸つづきであるか、それをきわめることがもっともたいせつである。富士男は毎日その研究に没頭《ぼっとう》していたが、ある日ゴルドン、ドノバンのふたりにこういった。
「どう考えてもここは熱帯地でないように思う」
「ぼくは熱帯だと思うが、きみはなんの理由でそんなことをいうか」
と例のドノバンは、まず反対的態度《はんたいてきたいど》でいった。富士男は微笑しながら、
「ここには、かしわ、かば、まつ、ひのき、ぶなの木などが非常に多い、これらの樹木は太平洋中の赤道国《せきどうこく》には、ぜったい見ることができない樹木だ」
「それじゃどこだというのか」
「まつ、ひのきのほかの木がみな、落葉したり、紅葉したりしてるところを見ると、ニュージーランドよりも、もっと南のほうの高緯度《こういど》だろうと思う」
「もしそうだとすると」とゴルドンは、双方《そうほう》の争《あらそ》いをなだめながら、
「冬になるとひじょうに寒くなるだろう、いまは三月|中旬《ちゅうじゅん》だから、四月の下旬までは好天気がつづくだろうが、五月(北半球の十一月)以後になると、どんなに気候が変わるかもしらん。そうすると、とてもぐずぐずしていられない、おそくとも六週間以内にはこの地を去るとか、ただしは冬ごもりをするかを、きめなければならん」
いかにもゴルドンの心配は、むりからぬことである。さすがのドノバンも、だまってしまった。
いまは、一日のゆうよすべきばあいでない、富士男は毎日、丘にのぼって、四方を展望《てんぼう》した。ある日かれは、森のかなたに、ほのめく一|条《じょう》のうす青い影を発見した。夕日はかたむくにつれて、影がしだいにはっきりして、ぬぐうがごとき一天の色と、わずかに一すじの線をひくのみである。
「海だ!」
かれは思わずさけんだ。
「海だ!」
もし海とすると、この地は大陸つづきでなく、四方海をめぐらす、はなれ小島であると、思わざるをえない。
かれは丘をおりてサクラ号に帰り、一同にこのことを語ると、一同はあっといったきり、ものもいえなかった。
無人島! 家もなく人もない、いよいよ救わるべき見こみはなくなった。
「そんなことはない」
とドノバンはいった。
「いやたしかに海だ」
「よし、それじゃいけるところまでいって、その実否《じっぴ》をたしかめることにしよう」
「よし、いこう」
遠征委員《えんせいいいん》には、富士男とドノバンのほかに、ドイツ少年のイルコックと、仏国少年のサービスが、ついてゆくことにきめた。ゴルドンもゆきたかったが、かれはるすの少年を保護せねばならぬので、富士男を小陰《こかげ》によんで、ひそやかにいった。
「どうか、ドノバンとけんかしないようにしてくれたまえね」
「むろんだ、ドノバンはただいばりたいのが病で、性質《せいしつ》は善良なんだから、ぼくはなんとも思っていないよ」
「それでぼくも安心したが、少年|連盟《れんめい》はぼくら三人が年長者だからね、きみとドノバンと仲が悪くなると、まったくみんなが心細がるよ」
「連盟のためには、どんなことでも、しのばなきゃならんよ」
「それで安心した」
じっさいもう一と月のうちに、一同の住居する土地をきめねばならぬ、サクラ号の損所《そんしょ》はだんだんはげしくなる、このぶんでは、一と月ももたぬかもしれぬのだ。
四人は四日分の食料《しょくりょう》を準備《じゅんび》した、めいめい一ちょうの旋条銃《せんじょうじゅう》と、短|銃《じゅう》をたずさえ、ほかに斧《おの》、磁石《じしゃく》、望遠鏡《ぼうえんきょう》、毛布《もうふ》などを持ってゆくことにした。
いよいよあすは出発という日の夕方、一同はこわれた甲板《かんぱん》に食卓《しょくたく》をならべて、しばらくの別れをおしんだ。旅程《りょてい》は四日だが、名も知らぬ土地である。河また河、谷また谷、ぼうぼうたる草は身を没して怪|禽《きん》昼も鳴《な》く、そのあいだ猛獣《もうじゅう》毒蛇《どくじゃ》のおそれがある、蕃人《ばんじん》襲来《しゅうらい》のおそれもある。
しばしの別れだが、使命は重かつ大、どこでどんな災殃《さいおう》にあうかもしれぬのだ。ゆくものも暗然《あんぜん》たり、とどまるものも暗然たり、天には一点の雲もなく、南半球の群星はまめをまいたように、さんぜんとかがやいている。そのなかにとくに目をひくは、南半球においてのみあおぎみることのできる、南十字星である。
「どうかぶじに帰ってくれ」
「おみやげたのむぞ」
一同は十字星の前にひざまずいて、勇士の好運をいのった。
翌朝七時、富士男、ドノバン、イルコック、サービスの四人は、ゴルドンのすすめによって、猟犬フハンをしたがえて出発した。
浜にそうて岩壁《がんぺき》をよじ、川をさかのぼりて森にいる。ひいらぎバーベリ等の極寒地方《ごくかんちほう》に生ずる灌木《かんぼく》は、いやがうえに密生して、荊棘《けいきょく》路《みち》をふさいでは、うさぎの足もいれまじく、腐草《ふそう》山《やま》をなしては、しかのすねも没すべく思われた。
どうかすると少年らは、高草のためにまったくすがたを見失うことがあるので、たがいに声をかけあうことにした。七時になるともう日はしずんで、前進することができない。四人は森のなかに一|泊《ぱく》することにした。
翌日四人はふたたび前進をつづけた、四人の目的は、この地が、島か大陸かを見さだめることと、いま一つは、冬ごもりをする洞穴《どうけつ》を、さがしあてることである。四人は大きな湖水のへんを歩きつづけた、だがこの日もまた、一頭の猛獣《もうじゅう》にもあわず、一点の人の足あとも発見しなかった。ただ二、三度、なんとも知れぬ大きな鳥が、森のなかを歩いているのを見た。
「あれはだちょうだ」
とサービスはいった。
「もしだちょうとすればもっとも小さいだちょうだ」
とドノバンは笑った。
「しかしだちょうだとすると、ここはアメリカかもしれんよ、アメリカはだちょうが多い」
四人はこの夜、小さな川のほとりに野営《やえい》した。
第三日の朝四人は、川の右岸にそうて、流れをおうてゆくと右に一帯の岩壁《がんぺき》を見た。
「やあ、サクラ湾《わん》の岩壁《がんぺき》のつづきじゃないか」
とサービスがいった。サクラ湾《わん》とは、少年連盟のサクラ号が漂着《ひょうちゃ
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