早めて、ブランドののどをめがけてとびかかった。ブランドは驚《おどろ》いてコスターをだいた手をはなし、フハンの両耳をつかんで一生けんめいに戦った。人と犬! 押しつ押されつ汗みずくになってもみあった。
海蛇は次郎をかかえたまま、岸のほうへ走った。このとき、とつじょとして洞内からおどりでた、一|壮漢《そうかん》がある。その顔はあしゅらのごとく、眼は厳下《がんか》の電《でん》のごとくかがやいている。
「海蛇待てッ」
声をきいて海蛇は立ちどまってふりかえった。
「やあ、ホーベス、いいところへきた、早く舟に乗れ」
ホーベスは、だまって海蛇に近づいた。と見るまもなく、かれのがんがんたるげんこつは、宙をとんで海蛇の眼と鼻のあいだに落ちた。あっという声とともに海蛇は次郎をはなした。同時にかれの手は早くもポケットの懐剣《かいけん》にかかるやいなや、怪光《かいこう》一せん、するどくホーベスの横腹《よこはら》をさした。ホーベスは、びょうぶをたおしたように、ばったり地上にたおれた。
海蛇はもう死に物ぐるいである。かれはブランドが、コスターをのがしたのを見て、せめて次郎だけはとりもどそうと考えた。かれはおそろしい速力をもって、次郎をおいかけた。次郎は右に逃げ、左に逃げたが、とうてい海蛇の足にはかなわない、海蛇の手は、むずと次郎のえりもとにかかった。この一しゅんかん、次郎はふりむきざまにポケットのピストルをとりだして、ごうぜん一発うちはなした。ねらいたがわず弾丸は海蛇の胸にあたった。海蛇はよろよろとよろめきながら、舟のなかへころげこんだ。これより先に舟に逃げこんだブランドとブルークは、海蛇を舟に入れるやいなや、むこう岸をさしてこぎだした。
とつぜん、天地もさくるばかりのごうぜんたる音がおこって、洞《ほら》の口に煙がぱっととんだかと思うと、三|悪漢《あっかん》をのせたボートは、木の葉のごとくひるがえって矢をいるごとき早瀬《はやせ》に波がぱっとおどるとともに、三人のすがたは一|起《き》一|伏《ぷく》、やがてようようたる水の面、ニュージーランド川は、邪悪のむしろをしずかにのんでしまった。
物置きの洞にすえつけた大砲をうったのは、モコウであった。それもこれも一しゅん時のできごとである。息きれぎれに走り集まった一同は、ただぼうぜんと気抜けがして、たがいにことばもなかった。
「これで悪漢全滅だ」
と富士男はいった。
「いや、全滅じゃない。だちょうの森でとり逃がしたロックとコーブがのこっている」
とイバンスがいった。
「ともかくぼくらはドノバンを迎《むか》えにゆかなきゃならん」
富士男はこういって足をかえした。一同はそれにしたがってもとの路へ帰り、ドノバンのたんかをになって洞へ帰ると、残りの少年たちはホーベスを洞へ入れて、ドノバンと同じく床の上に安臥《あんが》せしめた。
この夜は終夜まくらもとにつきそうて看護《かんご》した。ドノバンはやっぱり昏睡状態《こんすいじょうたい》である。ケートはニュージーランド河畔《かはん》にしげっているはんのきの葉をつんで、それをついてこう薬をつくり、二人の創《きず》に塗りつけた。これは痛みをとるに特効《とっこう》があった。だがホーベスの負傷《ふしょう》は、急所の痛手《いたで》なので、この妙薬《みょうやく》も効験《こうけん》はなかった。かれは自分でとうてい助からないと知り、眼をかすかに開いて、ケートの顔をしみじみとながめていった。
「いろいろお世話《せわ》になりました、だがぼくはもうだめです。どうか少年たちにお礼をいってください。ぼくは死んでも少年たちをまもって、ぶじ本国に帰るようにします」
「そんな心細いことをいわずに、元気をお出しなさい。あなたはかならず全快なさいます」
とケートはいった。
「いやいや」とホーベスは眼をしばたたいて「ぼくはずいぶん悪いことをしたから、このくらいの天罰《てんばつ》は当然《とうぜん》です。だが、死ぬまえにほんのわずかのあいだでも、善心《ぜんしん》にたちかえることができたのはぼくの一生のうちの幸福です」
その後かれはなにもいわなかった。しだいしだいに呼吸《こきゅう》がおとろえて、あけがた、うすあかりが東にほのめくころ、この改悟《かいご》の義人は、十五少年とケートとインバスにまもられて、その光ある最後の息をひきとった。
一同はホーベスの遺骸《いがい》を、左門の墓の隣《となり》にあつくほうむった。
しかしロックとコーブが生きているあいだは、一同安眠することができぬ。そこでイバンスは、富士男、ゴルドン、バクスター、イルコックの四人とともに、フハンをつれて探索《たんさく》にでかけた。するとかれらは、だちょうの森のなかにふたりの屍体《したい》を発見した。コーブははじめ弾丸《たま》にあたったところから百メートルばかりをへだてた雑草のなかにたおれており、ロックは、かつてイルコックが、またまたおおくのだちょうをいけどろうとほっておいたおとし穴のなかにひっかかっていた。
「見よ、悪業《あくごう》の天罰《てんばつ》を」
と富士男はいった。一同はいまさらながら、天網恢々《てんもうかいかい》疎《そ》にして漏《も》らさずという古言《こげん》を味わった。
これで悪漢は全部ほろんだので、一同は安堵《あんど》の思いをなした。しかし安堵《あんど》ならぬは、ドノバンの容態《ようだい》である。彼はいぜん、こんこんとして、半死半生の境《さかい》にあるのだ。
翌日イバンスは、富士男、バクスターとともにボートに乗って、平和湖をわたり、東方川をくだった。この地の十一月は、日本の春である。緑の草は岸をおおうて毛氈《もうせん》のごとく、やなぎは翠眉《すいび》をあつめて深くたれ、名も知らぬ小鳥は、枝から枝へ飛びかわしてさえずっている。
「やあここにすてきなものがある」
とイバンスはさけんだ。巨熊岩《おおくまいわ》の下、砂場の上に、セルベン号の伝馬船《てんません》がひきあげてある。これはいうまでもなく、海蛇《うみへび》らの船である。三人は船を検査するに、修繕《しゅうぜん》を加えれば、十分用にたえうるものであった。三人はすぐそれをボートのうしろにつけてひきながらふたたび川をわたり、湖をすぎてその夜ぶじに、ニュージーランド川についた。洞《ほら》に帰れば一同は欣々《きんきん》として出むかえた。
「なにかうれしいことがあるかね」
と富士男がきいた。
「ドノバンを見てくれたまえ」
とゴルドンがいった。病室へいってみると、まだものはいえぬが、ドノバンのあおざめた顔はかすかにあからみ、その呼吸は正しく長くつづくようになっていた。これはかれがへいそスポーツでからだをきたえあげていたのと、はんのきの葉の効力《こうりょく》であった。
つぎの日から一同は、伝馬船の修繕に着手した。船は長さ十メートル、それとつりあうように船幅《ふなはば》も十分である。十五少年と、イバンスと、ケートの二人をのせて、航海《こうかい》することはけっして難事でない。イバンスは総指揮《そうしき》となって工事を監督《かんとく》し、例の工学博士バクスターは副監督となった。富士男、ゴルドンら一同は、いっさいその命令に服して、ひとりとして不服をいうものはない。堅板《たていた》、横板、平板、支柱《しちゅう》、帆類《ほるい》すべての材料は、サクラ号からとっておいたものだけで十分であった。船の修繕には約三十日をついやしたが、そのあいだにドノバンは、しだいに健康を回復《かいふく》して、つえにすがりながら一同の工事を見まわるようになった。
クリスマスもすぎ、正月もすぎた。一同は出発の準備にいそがしい。第一に金貨をつみいれ、つぎに十七人の一ヵ月分の食料、つぎに武器、弾薬、被服《ひふく》、書籍、炊事《すいじ》器具と食器、望遠鏡と風雨計、ゴム類、つり道具、それだけで船はいっぱいであった。ドノバンはまったく快癒《かいゆ》した。
二月九日にいっさいの準備をおわり、二月十一日、大日本帝国の紀元節《きげんせつ》の日に出発することとなった。その朝は、一天ぬぐうがごとく晴れわたり、さわやかな風はしずかな波にたわむれて、船出を祝うがごとくに見えた。富士男は厩舎《うまや》の戸を開いて諸動物に別れをつげた。
「ゆけ、おまえたちはおまえたちの巣《す》に帰って自由に幸福であれ。ぼくらもまたいまぼくらの故郷《こきょう》へ帰るのだ」
さっとひらく戸とともに、たくさんの鳥はいっせいに美しいつばさを朝日にかがやかして、まっしぐらに天《そら》高く飛んだかと思うと、やがてまた一同の頭の上ちかく三回ほどまわって、やがてふたたびかなたの森をさして飛び去った。ラマとだちょうはしばらくもじもじしていたが、自分が開放されたと気づくやいなや、うしろも見ずに長い脛《あし》をひるがえして走り去った。
ドノバンは艫《とも》のイバンスのかたわらにすわった。富士男はモコウとへさきのほうにすわって帆を監視《かんし》した。船が動くとともに一同は左門洞にむかって三拝した。
「さようなら左門先生! あなたののこした足跡《そくせき》によって、少年連盟は、二年の露命《ろめい》をつなぐことができました」
富士男は感慨深《かんがいぶか》い顔をして、また、一同にむかっていった。
「諸君! もしこの世に、先輩《せんぱい》というものがあって後進の路をひらいてくれなかったら、人生はいかに暗黒なものとなるであろう。それと同時に、ぼくらもやがて先輩となるときがくる。ぼくらはあとにくるもののために、もっとも正しき人となり、もっともよき人となるべく努力《どりょく》しなければならん。左門先生の遺徳《いとく》を思うとともに、ぼくらもまた、第二の左門先生となりたいものだ」
「賛成賛成」
少年の声は一度におこった。船はしずかにニュージーランド川をくだる。
オークランド岡が森の陰《かげ》にきえたとき、一同の顔にさびしい色がうかんだ。明け暮れここで死活をともにした十五少年の二ヵ年、斯山斯水《しざんしすい》、なじみの深いこの陸地と、いま永久に別れるのだ。人々の眼に涙がうかんだ。
その夜はサクラ湾に一|泊《ぱく》して、翌朝|船尾帆《せんびほ》と船首の三|角帆《かくほ》を張っていかりをぬいた。船はしだいしだいに南方にむかい、八時間ののちには、南の岬《みさき》をめぐって、チェイアマン島を北方地平線に見送った。
二月のなかばにはすでにスミス海峡をすぎて、マゼラン海峡の入り口にきた。右方にはセントアーン山高くそびえ、左方にはボウフナルト湾のきわまるところに、参差《しんし》として白雪が隠見《いんけん》している。これはかつて富士男が希望湾から望み見た、白点であった。
イバンスの目算《もくさん》は、フロワード岬をすぎて、パンタレーナまでゆくつもりであったが、だが二十日の朝、みさきにあったサービスがとつぜんさけんだ。
「煙だ煙だ」
「漁船の火だろう」とゴルドンがいった。富士男はするすると帆柱《ほばしら》にのぼってさけんだ。
「汽船だ!」
いかにもそれは汽船であった。船は八、九百トン、まさに一時間十一、二|浬《かいり》を走っている。少年らは手に手に銃をとって連発しては、また歓呼《かんこ》の声をあげた。汽船は銃声をきいてわが船に気がついたか、しずかに方向を転じてこちらに近づいた。
十分間ののちには少年らのボートは、勇ましく汽船の下につながれた。汽船の名はグラフトン号で、豪州《ごうしゅう》航行の中途《ちゅうと》であった。船長ロングは、さっそく一同を本船にむかえいれ、その遭難《そうなん》のてんまつをきいた。
「おうそれじゃ、一昨年ゆくえ知れずになったので、新聞をにぎわしたサクラ号の少年諸君が、ぶじであったのか」
船長はおどろいていった。
「そうです、それはぼくらです」
「よし、それでは諸君のために、航路を変じてオークランドに直航《ちょっこう》し、諸君を本国へ送ることにしよう」
情けある船長のとりはからいにて、これから一路|平坦《へいたん》砥《と》のごとき海上を談笑指呼《だんしょう
前へ
次へ
全26ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 紅緑 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング