ゴルドンとモコウは、武器をとって戸口をまもったが、一夜はことなく明けた。
諸君が世界地図をひらくと、三角定規の最長の一辺を左にしておいたような形の大陸が、右下にあるのに気がつくと思うが、これが南アメリカである。
この西がわの最長の一辺にそうて、アンデス山脈が走っている。このアンデス山脈が南下している南端を、一つの海峡《かいきょう》が横断している。この海峡こそ千五百二十年に、大西洋より太平洋に航海する航路をつくった、マゼランによって発見された、マゼラン海峡である。
この海峡の北方は、アルゼンチンおよびチリー国で、南方はアンデス山脈の南下によってつくられた、フエゴ諸島である。
海峡の東口は、びょうびょうたる大洋であるが、西口は小島嶼《しょうとうしょ》が錯雑紛糾《さくざつふんきゅう》して、アンデス山脈と平行に北方にのぼり、チロエ島にいたって、まったく影を没《ぼっ》している。
イバンスは翌朝朝食後、少年たちにかこまれて、南米の地図を指説《しせつ》していたが、さらに語をついで、
「このマゼラン海峡の西口からチリー国の沿岸を北行している島嶼《とうしょ》のうち、南方にケンブリジ島をひかえ、北方にマドル島およびチャタム島をのぞんで、南緯《なんい》五十一度、西経《せいけい》七十四度三十分のところに一島あるが、これはハノーバル島といわれている。これこそ諸君が、二十ヵ月の月日をおくった、少年連盟島である」
この説明をきいたゴルドンは、
「それではわたしたちは、チリー国と一|葦帯水《いたいすい》の島にいたことになりますね」
といった。
「そうです。しかし、諸君が大陸に渡航《とこう》しなかったのは、かえって諸君にさいわいでした。よし大陸に渡航したとしても、アルゼンチン共和国の町、あるいはチリー国の町に出るまでには、種々の困難《こんなん》がある。たとえば、海抜《かいばつ》千メートル以上のアンデス山脈をこえ、昼なお暗い深林を通り、パタゴニアの荒漠《こうばく》たる草原を横断せねばならない。そのうえに、パタゴニアの蛮人《ばんじん》どもは、諸君を歓迎《かんげい》はしまい」
とイバンスはいった。
ハノーバル島、すなわち少年連盟島をかこむ海峡は、二十四キロメートルないし三十二キロメートルぐらいであるが、不幸にしてかれら少年たちは、つねに諸島よりはなれること、もっとも遠い位置に立って探望《たんぼう》したために、一島をも見ることができなかったのである。ただ最初に富士男が、モコウとともに平和湖を横ぎって探検したさい、サクラ湾で見た一小白点は、雪をいただくアンデス山中の一高峰であったことは疑いない。またたこに乗って空中から見た火光は、同じ山脈中の一火山である。
「わたしたちが伝馬船《てんません》を手に入れてこの島を出るとしても、どの方向にすすみますか」
とゴルドンは問うた。
「チリー国の沿岸は、曲折《きょくせつ》出入が多くてはなはだ危険であるが、ここより一直線に南航してチリー国の港に入港すれば、チリー国の住民はみな親切であるから、便船《びんせん》を求める便宜《べんぎ》はえられると思う」
とイバンスは答えた。
「チリー国の南端に港がありますか」
「チリー国の南端にタマル港があるが、もし荒廃《こうはい》していれば、さらに南に航路をとって、マゼラン海峡に出れば、ガーラント港があります。ここへゆけば、かならず豪州《ごうしゅう》行きの便船《びんせん》はあるはずです」
じじつマゼラン海峡に出れば、各国の船が通過している、イバンスの説明はますます少年を歓喜せしめた。
しかしかれらが帰国の便宜をうるためには、まず海蛇《うみへび》らの持っている、伝馬船をうばわねばならぬ、それには一戦はまぬがれないのである。
敵は七人であるとはいえ、くっきょうのおとなどもで、食人鬼《しょくじんき》のごとくどうもうなる暴漢《ぼうかん》である、味方は数こそ多いが、筋骨《きんこつ》いまだ固まらざる十六歳に満つや満たずの少年たちである、これを思うと、だれもみな一まつの不安を感ぜずにはおられなかった。
イバンスは、敵襲《てきしゅう》のばあいの防備をするために、洞の内外を巡覧《じゅんらん》した。洞はニュージーランド川に面し、平和湖の浜を左にひかえている。窓は矢間《やざま》の用をなし、ここには二個の大砲と、八個の旋条銃《せんじょうじゅう》が用意されているほかに、なお多くの武器がある。
武器、弾薬、食料の豊富、それだけをたのみに、死守するよりほかに道がない。
しかしかれら七名は、全部|凶悪《きょうあく》なものばかりだろうか。
「かれらのなかでホーベスは、良心を持っていると思いますが」
とケートはイバンスにいった。
「いやホーベスは最初は善心であったが、いまでは良心がなくなっています。現にぼくが逃走《とうそう》のとき、かれは追跡《ついせき》発砲しているのです」
とイバンスはケートのことばを一|蹴《しゅう》した。
少年たちはじゅうぶん用意をととのえて、敵のくるのを待ちうけた。幼年組はほとんど川辺にさえ出ないで、左門洞で息ぐるしい日をくらした。
数日は経過したが、海蛇《うみへび》たちは、ひとりとしてすがたをあらわさなかった。
イバンスはじめ少年たちは、これをふしぎに思っていたが、ある日、イバンスはこつねんとしてゴルドン、富士男、ドノバンをまねいて語った。
「かれらがすがたをあらわさないのは、かれらの作戦である。かれら一味は、ケートさんやぼくが、きみらといっしょにいると思わないから、諸君がかれらの漂着《ひょうちゃく》したのをまだ知らないつもりでいる。そのうちかれらのひとりが漂流者《ひょうりゅうしゃ》のごとくよそおって左門洞にきたり、助けをもとめて洞のなかにはいり、すきをうかがって戸を内からひらいて一味をみちびき、労《ろう》せずしてこの洞を占領《せんりょう》するつもりであると思う」
「そのときにはどうするか?」
「そのときには間者《かんじゃ》をみちびきいれて逆襲《ぎゃくしゅう》しよう」
と少年たちは作戦した。
翌日もことなくすぎて夕方になった。このとき、岩壁《がんぺき》の上に見張っていたウエップとグロースは、息をきらせて帰ってきた。ふたりの敵が川むこうにあらわれ、しだいに左門洞に近よりつつありと報告した。イバンスとケートが矢間《やざま》からこれを見ると、鉄砲玉《てっぽうだま》のロックとホーベスのふたりである。イバンスはゴルドン、富士男、ドノバン、バクスターの四名に一|策《さく》をあたえて、ただちに物置きのなかにかくれた。
しばらくしてゴルドン、富士男、ドノバン、バクスターの四名は、なにげなきていに河岸を散歩していた、するとホーベスとロックはしだいに近よってきた。かれらは非常におどろいた表情をしたので、四人もおどろいた表情をした、と、ふたりはやがてあえぎあえぎ川をわたった。やっと岸へついたかと思うと、同時にばったり草の上にたおれた。
「きみたちは何者だ」
「けさ南方で破船した遭難水夫《そうなんすいふ》です」
「他《ほか》の乗り組みの者は?」
「みな溺死《できし》しました。しかし諸君は何者です」
「ぼくらはこの島の植民者《しょくみんしゃ》です」
「ではわたしたちに食物と水をください、じつはけさから水一てきも口にしないのです、助けてください」
「よろしい、破船水夫は救助をもとめる権利がありますから、こっちへきなさい」
四名はふたりをともなって洞に帰った。猛虎《もうこ》をひつじの家にみちびくようなものだった。
ロックはひたいにむこう傷《きず》があり、一見してそのどうもうさの知れる相である。ホーベスはこれと反対に、どことなく人間らしいところがある。
ふたりはしじゅうきわめてたくみに、遭難者《そうなんしゃ》になりすましている。少年たちの問いにきゅうすると、苦しそうに休息をもとめるが、その目はたえず周囲を見まわしている。かれらが洞にはいって、防備の厳重《げんじゅう》なのを見て、おどろきの色をあらわしたのを、慧眼《けいがん》なゴルドンと、富士男は見のがさなかった。
少年たちはふたりを物置きの洞にみちびいて、その片すみに寝さした。ふたりは極度《きょくど》に疲労《ひろう》した人のように、鼾声《かんせい》をあげて早くも熟睡《じゅくすい》した。
九時ごろにモコウは、ふたりの寝ている洞の片すみに、床をのべてねむりについたが、最前からたぬき寝入りのふたりはモコウに対しては、いっこうむとんちゃくであった。むろん腕力じまんのかれらには、モコウをひねりつぶすくらいは朝|飯《めし》まえのことである。モコウばかりでない、他のものとても、ことごとく少年ばかりだ、かれらにとっては、おそろしいものがあるべきはずがない。
三時間は過ぎた。ちょうど十二時になったとき、ふたりはじょじょに身をおこし、抜き足しながら戸口に進んだ、天井《てんじょう》からつりさがっているともしびが、かれらの行動をあきらかに照らしている。
川に面した物置きの戸は、かんぬきをかたくさしたうえに戸が外からあかないように、大石を積みかさねてある。ふたりはしずかに大石をとりのぞいて、まさにかんぬきに手をかけようとしたとき、一個の腕がしっかりとロックの手をとらえた。
ロックはおどろいて首をまわすと、死んだはずの運転士イバンスが立っている。
「ああイバンス」
「諸君きたまえ」
イバンスの声をきいて、ただちに出てきた富士男、ドノバン、バクスター、グロースの四人はホーベスをとらえて動かない。
ロックは力かぎりイバンスとあらそっていたが、その手をふりほどくと、戸をおしひらくやいなや、洞外のやみに走り去った。
イバンスは銃をとってごうぜん一発うったが、弾《たま》はむなしく音を立てて闇中《あんちゅう》をとび、手ごたえはさらになかった。
「逃がした、しかしここに一味のひとりがいる」
イバンスはこしの一刀をひらりと抜いて、ひとふりふってホーベスの首根をしっかりとおさえ、ふたたび一気にうちおろそうとした。
「待ってください」
ケートはホーベスのからだの上に身を投げかけていった。
「ホーベスをゆるしてやってください、洞の中で血を流さないでください」
イバンスはしずかにふりあげた刀をおろした。
「捕虜にしておけ!」
少年たちはホーベスを戸だなに入れた。戸口はまたもとのように大石を積みかさねた。そのあとは、なんの変化もなく夜は明けた。
翌朝イバンスは、富士男、ドノバン、ゴルドンの三人をともなって、敵の動静《どうせい》をさぐりに洞外に出た。
洞の外には多くの人のくつあとが、朝露《あさつゆ》にぬれて縦横《じゅうおう》に点々と印せられている、あきらかに海|蛇《へび》たちが昨夜、洞外を偵察《ていさつ》したときのくつあとである。
海|蛇《へび》たちは遠く去ったらしい、洞の付近には人影もなく、厩舎《きゅうしゃ》も養禽場《ようきんじょう》も、なんらの異状がない、湖のほとり、川辺のだちょうの森も、かくらんされたあとは見られなかった。
かれらはどこに去ったか、いつまた、襲来《しゅうらい》するか、これを知るには、捕虜《ほりょ》とせるホーベスに聞くよりほかないと、四名は洞にひきあげた。
ホーベスは、広間の中央にひきだされた。
イバンスはげんぜんとしてかれに問うた。
「ホーベス! 海|蛇《へび》たちの昨夜の作戦は破れたが、この後かれらはいかなる作戦をとるか、知っているかぎり白状《はくじょう》しろ」
ホーベスは黙然《もくねん》として、ただ頭をたれている。かれはさすがに、ケートや少年たちと面をあわすのが、はずかしいとみえる。
「ホーベスさん、あなたは海|蛇《へび》たちのなかでも良心を持っている、ただひとりの善人だと思いますが、かの凶悪《きょうあく》な海|蛇《へび》たちの手から、このかわいらしい十五人の少年を、救ってやる気はありませんか」
ケートのことばをきいたホーベスは、はじめて頭をあげた。
「わたしにどうしろというのです」
イバンスは一歩かれに近よった。
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