「ぼくがいったとおりだろう」
 とサービスが鼻あなをふくらました。
「いったいどうしてあげるの」
 と善金《ゼンキン》が不安そうにいった。大だこはとうてい連盟員の力ではおぼつかない。
「岩にくくりつけるんだよ」
 と伊孫《イーソン》がすましていった。
「心配ご無用さ、ちゃんと巻きろくろの用意があるよ。これで線《いと》は伸縮自在《しんしゅくじざい》になる」
 と主任がいった。
「じゃあすを楽しみに幼年組はおやすみ、ぼくらが残りの準備をしておくから……」
 と富士男がいった。幼年組はなごりおしそうに、ベッドへいそいだ。
 翌日は幼年組は暗いうちからはしゃぎまわった。だが朝来《ちょうらい》の天候は不穏《ふおん》をつげ、黒雲が矢のようにとび、旋風《せんぷう》が林をたわめてものすごいうなりを伝える。と見るまに大粒《おおつぶ》の雨が落ちてきた。
「あっ! 雨だ!」
 天候を気づかって、洞を出たりはいったりしていた、善金《ゼンキン》がさけんだ。
「だめか、残念だなあ!」
 一同は走りでて、うらめしそうに嘆息《たんそく》した。
「つまらないなあ」
 と幼年組の失望は大きかった。
「あすになればなんでもない」
 とゴルドンがいたわるようにいった。
「そうだ、きょうにかぎったことはない、ゆっくり腕《うで》を休めよう、さあみんななかへおはいり」
 と富士男がいった。
 天候はいよいよ険悪《けんあく》を加え、正午《ひる》ごろからがぜん大あらしに一変した。雨と風と海のものすごいひびきが、一団となって洞穴をおそう。それは夜にはいっていっそうはげしくなった。
 あらしは翌日も勢いはおとろえない。一同は脾肉《ひにく》の嘆《たん》を発して腕《うで》をさすった。
 十七日の明け方からさしもの豪雨《ごうう》もようやく小降りになり、風速もしだいにおとろえはじめた。
「風がなくなったら、たこあげができない」
 と善金《ゼンキン》が心配そうにいった。
「だいじょうぶだよ」
 とバクスターが、まじめな顔をしてうけあった。一同は笑った。
 正午《ひる》ごろには断雲《だんうん》を破ってまばゆい日が、ひとすじの金箭《きんせん》を投げた。
「万歳!」
 待ちに待った幼年組は、日をつかむように両手をかざして、とびまわった。
 大だこはさっそく洞外へ運びだされた。巻きろくろは、洞前の岩の根元にすえつけられた。
「ゴルドン君、サービス君、きみらふたりは幼年組といっしょに、たこを岡のほうへ運んでくれたまえ。ぼくとバクスター、ガーネット君三人で、ろくろのほうを守るから」
 と富士男がいった。
「オーライ」
 準備はまったくできた。とフハンがなにを発見したのか、二声三声けたたましくほえると、たちまち身をおどらして、だちょうの森を目がけてばく進した。一同はびっくりして手を休めた。
「どうしたんだろう」
 と富士男がいった。
「なにかえもののにおいをかぎだしたんだよ、かまわずにぼくらは仕事をつづけよう」
 とサービスがいった。
「待ってくれたまえ、フハンのほえ声が、いつもとちがう」
 と富士男がいった。
「ようすを見たらどうだ」
 とゴルドンがいった。
 ものがなしいほえ声がつづく、それは人を求める声だ。
「だれか早く武器を!」
 と富士男がさけんだ。
 言下に次郎とサービスが洞にとびいって、各一個の装薬《そうやく》した銃をとってきた。
「弾《たま》がはいってるね!」
「いまつめてきたんだよ、兄さん」
 と次郎がいった。
「いこう」
「ぼくもいこう」
 とゴルドンがいった。
 四人はかけ足で、フハンが突入した、だちょうの森へわけいった。しきりに人をよぶフハンのほえ声は、樹間にこだまして悽愴《せいそう》にひびく。
「南のほうだよ」
 とゴルドンがいった。
 声をたよりにゆくこと半町ばかり、フハンが大きな松の木の下に、地をかき、尾をまたのあいだにはさんで、ほえつづけている。
「あっ! 人間だよ!」と次郎がさけんだ。
 なるほど人間らしい形が、松の根もとに横たわっている。四人は足音をしのばせて近づいた、フハンが喜びの声をあげてとんできた。
 それはまさしくひとりの婦人であった。雨にぬれた粗布《そふ》の服をきて、茶色の肩かけをまとった、年のころ四十二、三の女である。髪《かみ》は乱れてあお白くしょうすいした顔にへばりつき、死人のように呼吸《いき》も絶え絶えに昏倒《こんとう》している。
 四人はしばしばものもえいわず、ぼうぜんと立ちつくした。むりもない、この島に漂着《ひょうちゃく》してからここに二年、そのあいだ一行がほかの人間を見るのは、いまがはじめてである。
「まだいきがある」
 とゴルドンが沈黙《ちんもく》を破った。
「餓《う》うえつかれているのだ」
 と富士男がいった。と次郎がとつぜん身をひるがえして、洞さして走った。まもなくかれは手に若干《じゃっかん》の乾《ほ》し餅《もち》と、少量のブランデーを持ってきた。
「ありがとう」
 とゴルドンが、次郎の機敏《きびん》の処置《しょち》を感謝した。
 富士男は婦人に近づいて口をひらき、数滴《すうてき》のブランデーをそそいだ。一同は緊張《きんちょう》してじっとみつめた。ムクムクとからだが動いた、と目をひらいてぼうぜんと四人の顔を見まわした。
「やあ、気がついた」
「おあがんなさい」
 と次郎が乾《ほ》し餅《もち》をさしだした。婦人は目に喜びの色を見せて、せわしくとるかと見れば口に運び、一気にのみこんでしまった。
「ありがとう」
 となかば身をおこしていったかと思うと、気がゆるんだのか、ぱったりとたおれた。
「死んだ」
 とサービスがいった。
「安心したのだよ」
 とゴルドンがいった。
 急製のたんかで婦人はまもなく、一同の手によって、左門洞へ運ばれた。
 ベッドの上に安臥《あんが》させられた婦人は、一時間ばかりしてぱっちりと目をさました。かの女はふしぎそうにあたりを見まわした。
「ああ、わたしはたすかった」
「お気がつきましたか」
 とゴルドンがいった。
「もうだいじょうぶだ」
 と富士男がいった。
 一同はほっと安心の吐息《といき》をついた。
「みなさんはどうして、こんなところへ住んでいらっしゃるの?」
 と婦人が、自分をとりまいている一団の少年の生活を、あやしむようにいった。
 富士男がかんたんにいちぶしじゅうを語った。
「まあ! なんという健気《けなげ》な子どもたちでしょう」
 と婦人は自分の遭難《そうなん》はわすれて、一同の忍耐《にんたい》と勇気とに、涙を流して感嘆《かんたん》した。
「おばさんはどうしてこんなところへこられたのですか」
 とゴルドンがきいた。
「ええ、お話ししましょう」
 一同は好奇の目をみはって、婦人のそばちかくよった。かれらは婦人の一語一句に身をふるわせ、手に汗をにぎってききいった。
 婦人の話はこうである。
 かの女はアメリカ人で、レーデー・カゼラインとよんだ。だがかの女らの友だちは、ケートと愛称《あいしょう》した。ケートは二十年ちかくもニューヨークの富豪《ふごう》、ベンフヒールド氏の家に奉公《ほうこう》して女執事《おんなしつじ》をつとめた。ちょうどいまから一ヵ月まえ、ベン氏夫妻はチリーの親族から招待をうけて、南米漫遊を思いたった。せっかちの夫妻は、足もとから鳥がたつようにいそいで旅装《りょそう》をととのえ、ケートをしたがえてサンフランシスコへきた。だが定期船は出帆《しゅっぱん》したあとだった。たまたま貨物船セルベン号がチリーのバルパライソにむかって航海するうわさを耳にした夫妻は、手をうって喜んだ、さっそくケートが走って船長に便船《びんせん》かたをたのんだ。それはすぐにゆるされた。
 セルベン号は、船長とふたりの運転手と、八人の水夫からなる、旧式の船だった。船はその晩サンフランシスコを抜錨《ばつびょう》した。
 水また水の無為《むい》な海上生活が、十日ばかりつづいた。それは月のない晩であった。
 水夫等は甲板《かんぱん》にあつまって酒宴《しゅえん》をひらいた。片目で右眼が二倍の働きをするようにギロギロ光る水夫長のワルストンが、酒によっぱらって日ごろの不平をならべたてた。かれは海蛇《うみへび》のあだ名があった。それは右手のくるぶしに、海蛇《うみへび》の入《い》れ墨《ずみ》をしているからである。
「ね、おい、水夫だってうまいもん食いてえや、船長たちゃ、いつもビフステーキやチキンの煮ころばしを食いやがって、ちくしょう!」
「おれたちにゃくさったキャベツと、ぶたのしっぽとくらあ!」
 とひたいに刀きずの水夫がいった。
「まっかなトマトが食いてえ!」
 とひとりがいう。
「フカフカのパンが食いてえ!」
 とひとりがいった。
「上等のブランデーが飲みてえ、あいつらは、たらふく飲んでやがる」
 と右の拇指《おやゆび》のない水夫がいった。かれは喧嘩《けんか》が自慢で、もし喧嘩に負けたら、指を一本ずつきりおとすんだと広言した。ところがある日、海蛇《うみへび》と大げんかをやって負けた。かれはみなの前で拇指《おやゆび》を落とした。以来かれは四本指の兄貴とあだ名された。
「おれが談判してやろう」
 と海蛇《うみへび》がフラフラとたちあがった。
「うまくやってくれよ親分」
 と四本指がニヤリと笑ってたちあがった。
 海蛇を先頭に水夫らは、船長室をおそった。
 船長は一言のもとにはねつけた。これはかれらが望むところであった。サンフランシスコを出帆《しゅっぱん》してからかれらは、密々《みつみつ》悪い計画をこらした。それはこの船を占領《せんりょう》して、南アメリカおよびアフリカ諸国に往来して、いまだに秘密に行なわれている奴隷《どれい》売買をいとなんで、一|攫《かく》千金をえようとしたのだ。いまその喧嘩《けんか》の口実《こうじつ》ができた。
「どうしてもきかねえのか」
 と海蛇が、酒でにごった眼をギラギラと光らした。
「あたりまえだ」
 と船長があおくなっていった。
「おれたちにうまいものを食わせろ」
 とひとりがさけんだ。
「うるさい! でてゆけ!」
 と船長がさけんだ。
「どうしてもか?」
「親分めんどうくせえ、やっつけろよ」
 と四本指がそそのかした。
「よし」
 と海蛇がポケットをさぐって、ピストルを出すと、船長をめがけて一発をはなった。
「アッ」と悲鳴《ひめい》とともに、船長があけにそまって倒れた。
「野郎《やろう》ども! ぬかりなくやれよ」
 と海蛇がどなった。血を見て凶暴《きょうぼう》になったかれらは、かねての計画を実行に移《うつ》した、まもなくベン夫妻と、一等運転手がたおされた。悪漢《あっかん》どもは完全にセルベン号を占領《せんりょう》した。
 ケートはあやうくのがれて、運転手室にかけこんだ、そこにはスペイン人のイバンスが、当直《とうちょく》の勤務をしていた、かれは三十前後の温良な人物である。
「助けて!」
「どうしたんです」
 とイバンスがびっくりしていった。
「船長さんが、ご主人夫妻が……殺されたのです」
 こういったとき、どやどやと悪漢どもが、足音あらくふみこんだ。海蛇を先頭に七人が目をギラギラ光らして、ピストルと刀を持って威嚇《いかく》した。
「殺すのか」
 とイバンスが、ケートをかばった。
「いや、運転手さん。おまえは助けてあげるよ、だが、おれたちの命令にそむきゃ、ようしゃはしねえ」
 と海蛇がいった。じっさいいまイバンスを殺しては、船の運転がとまってしまう。
「親分、あの女はどうしよう」
 と四本指がいった。
「ついでに助けてやれ」
 かくてイバンスとケートは、運転手室にとじこめられて、厳重な監視《かんし》をうけた。不安のうちに三日すぎた。と、どうしたことか四日目の晩、船はにわかに火を発して見る見る火焔《かえん》につつまれてしまった。
 悪漢どもはあわてふためいて、伝馬船《てんません》をおろした。若干《じゃっかん》の食物と数丁の武器と弾薬がかろうじてとりだすことができた。
「まぬけめ! おちついてやれ」
 と海蛇がど
前へ 次へ
全26ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 紅緑 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング