かることがあろうとも、それはきみに対する謀反《むほん》ではないさ、連盟員一同がきみを捨てて、ドノバンにくみしはしないことぐらい、いくらうぬぼれの強いドノバンでも、知ってるだろうからね……」
「いやかれらはぼくらを捨てて、この左門洞を去ろうとしている」
「ハハハ、ますます過敏症《かびんしょう》になるね。こりゃなにか、おまじないをして、早くなおさなけりゃ一同が心配するよ」
「ゴルドン君!」
富士男はキッとなっていった。
「じょうだんごとではないのだ、ぼくはたしかな証拠《しょうこ》をにぎったのだ」
「証拠?」
とゴルドンは富士男のしんけんさに、真顔になった。
「ゆうべぼくはなぜか寝苦《ねぐる》しくってしかたがなかった、ぼくは千を数えた、だがまだねむれない。ぼくはとうとう寝ることを断念《だんねん》した、外の夜気にでもあたってみようと、そっと寝床《ねどこ》をぬけだした。ぼくはついでだと思ったから、みんなの寝すがたを見てまわった。ところが、ぼくは室の一|隅《ぐう》にポツンとあかりのさしているのに気がついた、ぼくはそっと近づいた、見ればイルコックが左門先生の地図を写しとっているのだ」
「…………」
「ね、ゴルドン君、きみも知ってるように、ドノバン一|派《ぱ》は、ぼくが命令するといつもいやな顔をする。思うにかれらの不満は、ぼくの一身にこころよからざるところから発するのだ。ぼくは大統領の職《しょく》を辞《じ》そうと思うよ、ぼくが現職にあるために連盟の平和をみだすようになっては心苦しい。きみかあるいはドノバンにゆずったら、不和の根が絶えて、連盟はもとの平和にかえると思うんだ……」
「いや!」とゴルドンはカッと目をみひらいていった。「富士男君、それはきみの平生《へいぜい》ににざる言だ、もしそのようになったら、きみはきみを選挙した一同の信頼を、なんによってつぐなうのだ。なんによって一同に対する義務をつくそうというのか」
ゴルドンの言は富士男の胸を強くうった。
「そうだ、ぼくは自分の重大な責任をのがれようとした、信頼されたら水火《すいか》をも辞《じ》せないのが、日本人の気性《きしょう》だ、困難《こんなん》がかさなればかさなるほど、それにたえて打ち破ってゆかなければならないのだ」
こう思うとかれは胸が軽くなるのをおぼえた。
「ゴルドン君、ありがとう、ぼくは全力をつくしてあたるよ」
「たのむ。ぼくもできるだけ協力しよう」
ゴルドンは富士男の手をとってかたくにぎった。ふたりの目には感激《かんげき》の涙が光った。
人生はつねに寸善尺魔《すんぜんしゃくま》である。富士男とゴルドンが、ドノバン一|派《ぱ》に対する善後策《ぜんごさく》を考えだすひまもなく、不幸な分裂《ぶんれつ》が思いがけなく、その晩におこった。
モコウが、晩餐《ばんさん》のあとのコーヒーをくばってまわった。かおり高いコーヒーをうまそうにすすりながら、一同は昼の競技の話でむちゅうだった。とテーブルの一|隅《ぐう》でひたいをあつめてなにごとか話しあっていたドノバンが、とつぜん立ちあがった。
「諸君!」
かれは一座を見まわした。一同はびっくりしてドノバンを見あげた。
「ぼくら四人は考えるところがあり、左門洞に別れをつげたく思います」
ゴルドンの顔はサッと青ざめた。
「きみらはぼくらをすてる気か?」
「いや誤解《ごかい》してくれてはこまる。ぼくらはただしばらく諸君と別居したく思うのだ」
「それはいったいどういうわけなのか」
沈黙家《ちんもくか》のバクスターがいった。
「ぼくらはただ、自由かってな生活がしたいのだ。だが、それは理由のおもなるものではない。淡白《たんぱく》に直言《ちょくげん》すれば、ぼくらは富士男君の治下に立つことが不満でならないのだ」
三人が待ちかまえていたように拍手《はくしゅ》をした。重苦しい空気が室にみなぎった。黙然《もくねん》と腕をくんできいていた富士男はこのとき、しずかに立ちあがった。
「四君がぼくに対して不満であるのはどんな理由からだろう」
「なんの理由もない、ただ、きみには連盟の首領たるべき権利がないと思うのだ。ぼくらはみんな白色人種である。連盟は白色人種が多数だ。それなのに、有色人種が大統領になって采配《さいはい》をふる、次回にはモコウ、すなわち黒人の大統領ができるだろう」
「そうだ、ぼくらは野蛮人《やばんじん》の命令に服することは恥辱《ちじょく》だ」
グロースがドノバンに加勢した。
この暴言《ぼうげん》は温厚《おんこう》のゴルドンをいからした。
「ドノバン、きみはまじめにいってるのか」
「もちろん、ぼくはまじめだ。真実のことをいってるのだ、ぼくら四人は黄色人種の治下に甘んじて忍従《にんじゅう》することはできないのだ」
けわしい空気が室に充満《じゅうまん》した。とモコウはふんぜんと、ドノバンにとびかかった。
「きたない! のけ! 黒ん坊!」
ドノバンはみをかわしてどなった。
「待て! モコウ」
富士男はいきりたつモコウをおさえた。
「ドノバン君! 暴言はつつしみたまえ。少年連盟は、人種を超越《ちょうえつ》した集団なのだ。きみはちかったことを忘れたのか、あやまりたまえ!」
「いやだ!」
「アメリカのやつはさぎ師だ。富士男さま、とめないでください、わたしはやつらをなぐり殺してやる」
とモコウは白い歯をむきたてて憤怒《ふんど》した。
「ドノバン君! きみが悪い。いまの暴言をあやまりたまえ!」
とゴルドンがいった。
「ぼくはなにもあやまる必要をみとめない」
「あやまらないのか」
と富士男が目をいからした。
「いやだ」
「よろしい、きみらがそんな差別観念《さべつかんねん》にとらわれて、それをすてようともしないのなら、ぼくらはおたがいにいさぎよく別れよう。きみらはつごうのいいときに去ってくれたまえ」
一同はこの分裂《ぶんれつ》の不幸に、愁然《しゅうぜん》として首をたれた。
「ドノバン君、ぼくらはきみらが他日《たじつ》、きょうの決意を悔恨《かいこん》する日のきたらんことをいのるよ」
ゴルドンはこういって室を去った。
重苦しい一夜が明けた。
乳色の朝霧が平和湖をこめていた。日は森を出はなれてばら色の光を投げている。それはきのうと変わらぬ上天気を約束するかのようである。けれど、太陽のほがらかさにひきかえて、一同の心は、やみのように暗かった。支度《したく》もかいがいしく四人は、旋条銃《せんじょうじゅう》二個、短銃四個、おの二個、硝薬《しょうやく》若干《じゃっかん》、懐中磁石《かいちゅうじしゃく》一個、毛布数枚、ゴム製の舟、そして二日分の食物を携帯《けいたい》して、一同の見送りをうけた。しわぶきひとつするものもない、みなは悲しみに心をつつまれているのだ。
四人は牢固《ろうこ》たる決意にもかかわらず、一同の悄然《しょうぜん》とした顔を見ると、さすがに、心のうちしおるるのをおぼえた。だが、しいてさあらぬさまをつくった。
「ではさようなら」
「さようなら」
と一同がいった。
「ドノバン君!」と富士男はいった。「きみは三人の生命をあずかっているのだ。危険《きけん》のないようにたのむよ」
「心配ご無用」
ドノバンはこうぜんと身をそらした。まもなく一行のすがたが森陰《もりかげ》にかくれた。
「とうとう去ってしまった」
と富士男がかなしそうにいった。
「去る者をして去らしめよだ」
それまで沈黙《ちんもく》をまもっていたゴルドンが、はじめて口をきった。
「さあ、みんな元気に、ぼくらはぼくらの仕事をはじめよう」
一同はうながさるるように、洞穴のなかにはいった。
さてドノバンの計画というのはこうである。数ヵ月前、富士男が失望湾の浜辺で発見したという岩窟《がんくつ》に居《きょ》をかまえ、ニュージーランド川の森で猟《りょう》をして食糧にあてれば、眠食ともに不自由なく、気ままの生活ができる、というのである。失望湾は左門洞から約二十キロメートルの距離《きょり》にある、これは万一のばあい、左門洞の一同と消息《しょうそく》を通ずるにしごく容易《ようい》である。
まもなく一行はニュージーランド河畔《かはん》に到着した。
川のほとりにモコウが、ボートを艤《ぎ》して一行を待ちうけていた。これは四人がボートをあやつる知識と、熟練《じゅくれん》に欠けてるのを知っている富士男が、モコウにむこう川岸まで送りとどけるように命じたのだった。この命令をうけたとき、モコウは首を横にふった。
「ご主人、こればっかりはおことわりします。ほかの人にやらせてください」
「なぜだ?」
「黒ん坊のボートで川を渡ったとなればかれらの恥でしょうし、あんなにご主人を侮辱《ぶじょく》したやつには、力をかしてやる理由がありません」
「モコウ、きみは私事と公事とを混用《こんよう》している、たとえかれらがぼくを侮辱したところが、それは小さな私事なのだ。私事のためにかれらに難儀《なんぎ》をかけることは恥《は》ずべきことだ、ぼくは連盟の大統領の職責から命じるのだ」
「わかりました。ですがご主人、わたしはかれらと一言もことばをかわしたくないと思いますが、これだけはゆるしてください」
「ハハハ、そりゃきみの自由だ」
大統領の命令ならそむくわけにはゆかない。彼はいさぎよく渡川の任務をひきうけたのだった。
ボートは川岸をはなれた。川霧はまったく晴れてオールに破れた川面《かわも》が、小波《さざなみ》をたてて、日にキラキラと光った。モコウは黙々としてオールをあやつり、黙々として四人を川岸にあげ、そして黙々としてこぎ帰った。
一行四人のその後の行動は、ドノバンの日記によって知ることにしよう。
十月十日、ぼくらはとうとう独立した。独立の第一歩において、モコウのボートにうつらなければならなかったことは大言のてまえすこし遺憾《いかん》だった。だが、これはだれもがボートをあやつる知識と熟練にかけているのでしかたのないことだ。うららかな春光をあびてぼくらは湖《みずうみ》の南端をさしてすすんだ。ゆくこと八キロメートルあまりにして湖の南端に達した。日はまだ高かったが、いそぎ旅でもなし、ここで一泊することにきめた。とちゅう大がもを射とめたことはなんとなくさいさきがよい。晩飯はこの大がもですました。
十月十一日、未明に出発、湖畔《こはん》にそってすすむ。たちまち一個の砂丘に達した。丘上に立って左右をながめると、一方は湖が鏡《かがみ》のごとくひらき、他方には無数の砂丘が起伏連綿《きふくれんめん》とつづいている。
「こんな砂丘ばかりだったらたいへんだぞ、食糧を求めるに困難《こんなん》する」
と兵糧係《ひょうろうがかり》のグロースが心配そうにいった。
「なにだいじょうぶだ」
とぼくはとにかくすすむことに決心した。一方は湖だし、いまさらひきかえすことも残念《ざんねん》だ。ゆくにしたがっていよいよ丘陵《きゅうりょう》が多くなった。一|登《とう》一|降《こう》、骨の折れることおびただしい。どうやら地面の光景は一変した。十一時に湖のひょうたん形に入りこんだ小さな湾に達した。ゆうべの大がものあまりをひらいて昼食にした。とにかくもういっぺん地形を正確に知る必要がある。湾の上はうっそうたる森のはしで、これからすすもうとする東北二方は、まったくこの大森林におおわれている。ぼくはグロースのかたをたたいていった。
「おい、天は兵糧係《ひょうろうがかり》グロース君に無限の宝庫をあたえた」
一同は勇気百倍した。案のごとく林中には、だちょう、ラマ、ベッカリー、および、しゃこ、その他の禽獣《きんじゅう》が無数にすんでいる。グロースは晩餐《ばんさん》をにぎわすといって、さかんに鉄砲をうった。とうとうえものをひとりでは持ちきれなくなって各自が分担《ぶんたん》した。この宝庫は本島内の他の諸林にゆずらないと思う。六時ごろ、一すじの川のほとりに出た。いよいよ露営《ろえい》だ。と、テント係のイルコックが、とんきょうな声をはなった。
「ヤアヤアだれかここに宿ったや
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