まとみんぞく》特有《とくゆう》のまっ黒なひとみからつるぎのごとき光がほとばしりだした。
「もういっぺんいってみろ」
「ジャップは卑劣だ、有色人種は卑劣だ」
「こらッ」
富士男はドノバンの腕をぐっとつかむやいなや、右にひきよせて岩石《がんせき》がえしに大地にたたきつけた。それはじつに間《かん》髪《はつ》をいれざる一せつなの早わざである。他の少年たちはただあっけにとられて眼をぱちくりさせた。
「もういっぺんいう勇気があるか」
富士男はぐっとそののどもとをおさえていった。がこのときゴルドンが急をきいてかけつけてきた。
「どうしたんだ、まあよせよ」
かれは富士男をひいて立たしめ、それから赤鬼のごとく歯がみをして立ちあがったドノバンの腕をしっかりとつかんだ。
「どうしたんだ、きみらにはにあわんことをするじゃないか」
「ぼくは卑怯者《ひきょうもの》を卑怯だといったのに富士男は乱暴《らんぼう》をした」
とドノバンはいった。
「それはいかん、きみが富士男君を卑怯者だといったのが悪い」
「しかしかれは腕力《わんりょく》に……」
「侮辱的《ぶじょくてき》のことばは腕力よりも悪いよ」
「そんなことはない」
「きみはだまっていたまえ」
ゴルドンはこういって富士男にむかい、
「どうしてこんなことになったのだ」
「ドノバン君がぼくを卑劣だといっただけなら、ぼくはききながしておくつもりだったのだ、だがかれは遊戯に負けたくやしさのやり場がないところから、ぼくをカンニングだの卑劣だのといったうえに、ジャップは卑劣《ひれつ》だ、有色人種は卑劣だといったから、ぼくはちょっとジャップの腕前《うでまえ》はどんなものかを見せてやっただけだ」
「ほんとうか」
ゴルドンは顔色をかえてドノバンにいった。
「ほんとうとも、ぼくの本国では日本人と犬入るべからずと書いた紙札を畠《はたけ》に立ててあるんだ」
「きみは……けしからんことをいう」
とゴルドンはどなった。
「このとおりだ」と富士男は笑って「アメリカ人が犬であるか、日本人が犬であるか、いまぼくがいうまでもなく諸君がわかったろう。諸君、ぼくは高慢《こうまん》なアメリカ人、伝統《でんとう》のないアメリカ人、礼儀《れいぎ》も知らず道義も知らず物質万能《ぶっしつばんのう》のアメリカ人、とこういったなら米国人はどんな気持ちがするだろう。おたがいにその国をののしったり、種族《しゅぞく》をののしったりすることはつつましまなければならん。他をののしることはやがてみずからをののしることなのだ、がんらい少年連盟は八ヵ国の少年をもって組織《そしき》された世界の王国なのだ。もし人がぼくにむかってきみはどの国民かときいたなら、ぼくはいまたちどころに答えるであろう、僕は少年連盟国の人民ですと。この島にあるかぎりはぼくは連盟をもって僕の国籍《こくせき》とする、それでなければ長い長いあいだの洞窟生活《どうくつせいかつ》ができべきはずがない。じっさいぼくは連盟国のひとりとして世界に立ちたい、もしさいわいにぶじにニュージーランドへ帰ることができれば、ぼくはさらに連盟を拡大《かくだい》して世界の少年とともに、健全な王国を組織《そしき》したいと思っているのだ。ドノバンはなんのためにその頑冥《がんめい》なほこりと愚劣《ぐれつ》な人種差別とをすてることができないのだろう。なぜその偏狭《へんきょう》な胸をおしひらいて心の底からぼくらと兄弟になることができないのだろう。日本のことわざに交《まじ》わりは淡《たん》として水のごとしというのがある、日本人は水のごとしだ、清浄《せいじょう》だ、淡白《たんぱく》だ、どんな人とでも胸をひらいて交《まじ》わることができる。しかるに米国人たるドノバンはいつもにごっている。ぼくは日本をほこるのじゃない、米国をののしるのじゃない、しかしきょうこんなさわぎになったのをみて諸君の公平な眼で見た裁判《さいばん》に一任する。ぼくが正しいか、ドノバンが正しいか、ジャップたるぼくが正しいとすれば、ヤンキーたるドノバンはのろわれねばならん、そうしてその国の名誉《めいよ》もけがされねばならん」
「そのとおりだ」
とゴルドンはげんぜんとしていった。
「ドノバン君、あやまりたまえ」
「いやだ」とドノバンはいった。「きみはいつでも富士男君のかたをもつんだね」
「富士男君は正しいからだ、ぼくは連盟の総裁《そうさい》として正しきにくみするだけだ、どう考えてもきみは悪い」
「悪くないよ」
「まあ待てよ、きみはいま昂奮《こうふん》してるから、とにかく森のほうへでも行って熱気《ねっき》をさましてきたまえ、富士男君もそれまであまり追究《ついきゅう》せずにいてくれたまえ」
「ぼくはいつでもドノバン君と握手《あくしゅ》したいと思っているよ」
と富士男はいった。
五月になるとそろそろ寒さがきびしくなってきた。森の小鳥は遠く海をこえてあたたかな地方へうつった。一同は毎日多くのつばめをつかまえてはそのくびに一同が漂着《ひょうちゃく》のことを書いた布《ぬの》をむすびつけて、はなしやった。
六月になると大統領の改選期である。ドノバンはこんどこそは自分が大統領に選挙されるだろうと、例のもちまえのうぬぼれからそのときがくるのを待っていた。ところがじっさいにおいてはかれを好《す》くものはイルコック、ウエップ、グロースの三人だけで、その他の少年はドノバンをこのまなかった。それはドノバンがその才知にまかせて弁舌《べんぜつ》をふるい、他の少年を眼下に見くだすためと、いま一つは富士男のために投げとばされてさんざん説教《せっきょう》された醜態《しゅうたい》を演じたためである。
だが少年の心は単調《たんちょう》を喜ばぬ、かれらはそろそろゴルドンがいやになってきた。温厚《おんこう》なゴルドン、常識にとんだゴルドン、しかも少年たちにはきびしく毎日の学課《がっか》を責めて、すこしもかしゃくしないゴルドン。どこが悪いというでもないが、なんとなくこんどの大統領はゴルドンでなく別の人であってほしいような気がした。
六月十日の午後、選挙会が開かれた。めいめいは紙片に候補者《こうほしゃ》の名をしるして箱に投ずることとなった。ゴルドンは英国人特有のげんしゅくな態度《たいど》で選挙長のいすについた。
選挙の結果は左のごとくであった。
富士男――九点。ドノバン――三点。ゴルドン――一点。
富士男は最大多数であった。ゴルドンとドノバンは選挙権をすて富士男はゴルドンに投票し、ウエップ、グロース、イルコックはドノバンに投票したのであった。
票数《ひょうすう》がよみあげられ、大統領は富士男と決定した、ドノバンは絶望《ぜつぼう》のあまり面色《めんしょく》を土のごとくになしてくちびるをかんでいた。富士男はひじょうにおどろいて百方|辞退《じたい》したが規律《きりつ》なればいたしかたがなかった。
「ぼくはとてもその任ではないと思うけれども、ゴルドン君に助けてもらったらあやまちなくやってゆけるだろうと思う」
かれはこういってようやく就任《しゅうにん》した。万歳の声が森にひびき雪の野をわたって平和湖までとどろいた。
この夜富士男はひそかに弟の次郎をよんだ。
「次郎君、ぼくが大統領になったのをきみはどう思うか」
「ぼくはひじょうにうれしいよ、兄さん」
「どうして?」
「兄さんが大統領になったから、どんな用事でもだれにでもいいつけられるだろう、そうすると兄さん……これからいちばんむずかしい仕事があったらぼくにいいつけてください、ぼくは命をすててもかまわないから」
富士男はにっこり笑っていった。
「よくいってくれたね次郎君、じつはぼくもそう思っているのだ」
サクラ湾頭《わんとう》に立てた旗《はた》がさんざんに破れたので、蘆《あし》をとって大きな球をつくりそれをさおの先につけることにした。八月といえば北半球の二月である。寒暖計の水銀は零《れい》点下三十度にくだる日が少なくなかった。少年らは終日《しゅうじつ》室内から一歩も出ることはできない。かれらは喜んで富士男の指揮《しき》にしたがった。一同がもっとも感激《かんげき》したのはゴルドンの態度《たいど》であった、かれは大統領の任を富士男にわたすとともに率先《そっせん》して他の少年とともに富士男の号令に服従して、もっとも美しき例をしめした。
が、人心はその面のごとく異《こと》なる。少年連盟におそるべき事件が勃発《ぼっぱつ》した。
分裂《ぶんれつ》
暖気がにわかにまわって湖水の氷が一時にとけはじめた。島に二年目の春がおとずれたのだ。天は浅黄色《あさぎいろ》に晴れて綿雲《わたぐも》が夢のように浮かぶ。忍苦《にんく》の冬にたえてきた木々がいっせいに緑《みどり》の芽《め》をふきだす。土をわって草がかれんな花をつけた。金粉《きんぷん》の日をあびて小鳥が飛びかい、樹上に胸をふくらまして千|囀《てん》百|囀《てん》する。万物がみないきいきとよみがえったのだ。それにもまして喜んだのは長い冬ごもりに、自由をうばわれていた少年連盟である。幼年組も年長組も一団となって洞穴をぬけだし、春光まばゆい広場で思う存分にはねまわった。
ワッという笑い声が広場の一角にわいた、走りはばとびのスタートをきったモコウが、コースのとちゅうでつまずいて、まりのようにころんだのだった。かれはすばやく起きあがると頭をかきかき新しくスタートをきりなおした。急霰《きゅうさん》のような拍手《はくしゅ》が島をゆるがす、小鳥がおどろいて一時にパッと飛びたった。一同はまるでなつかしい校庭で遊びたわむれているときのように競技にむちゅうである。洞門の前の小岩にこしをかけて、一同の嬉々《きき》とするさまを見まもっていたゴルドンは、ニッコリして富士男にいった。
「あの元気いっぱいさはどうだ、みんなうれしそうだね」
「だが、ドノバンらがいないのはどうしたんだろう?」
富士男はさっきからさがしているのだったが、ドノバン、グロース、ウエップ、イルコックの四人のすがたはどこにも見あたらなかった。
「みなが楽しそうに遊んでいるのに、四人をのけものにしては悪い、よんでこよう」
と富士男が立ちあがった。
「ぼくもゆこう」
ふたりは洞穴のなかにはいった。室のすみに頭をあつめて、なにごとか相談にふけっていた四人は、ふたりの足音におどろいて話をやめた。
「ドノバン君! 室のなかにいないで、外へ出て遊ぼうじゃないか」と富士男がいった。
「いやだ!」
とドノバンがいった。
「なぜだい」
とゴルドンがいった。
「なぜでもいいよ。ぼくらはここにいたほうがおもしろいんだ。ね、諸君」
こういって、ドノバンは三人と顔をあわしてニヤリと笑った。
「そうか」
とふたりは室を出た。
輪《わ》投げの事件があってから、ドノバンの富士男に対する態度《たいど》は目だって変わってきた。富士男は日本人の気性《きしょう》としてあっさりと水に流したのだったが、倣岸《ごうがん》のドノバンは、心をひらこうとはしない。そして大統領の選挙にもれてからは、ことごとに富士男にたてをつくようになった。ゴルドンはふたりのあいだにおって百方力をつくして、ふたりの交情をやわらげようとつとめたが、それはなんの効果《こうか》もあたえなかった。ついにドノバンは、グロース、ウエップ、イルコックの三人と党《とう》を組んで、食事のときのほかは一同と顔をあわすこともほとんどまれとなり、多くは洞穴の一|隅《ぐう》にひとかたまりとなって首をあつめなにごとかひそひそと語りあうのであった。
「ねえ、ゴルドン君、ぼくはこのごろかれらの態度《たいど》が不安でたまらない」
「どうして」
「人を疑《うたが》うことは日本人のもっとも忌《い》むところだ。だが、ぼくはドノバン君の態度《たいど》を見るに、なにごとかひそかにたくらんでいるように疑えてならないんだ」
「ハハハ、きみにもにあわない、いやに神経過敏《しんけいかびん》だね」
こういってゴルドンは笑った。
「たといかれらがなにごとかひそかには
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