しこ》のあいだにゆくことになった。
 三月三日! 汽船はぶじオークランド湾についた。かえりみれば一昨年二月十四日の夜、ここを流れでてから満二ヵ年あまりになった。
「サクラ号の少年たちがぶじ帰国したぞッ」
 この声がニュージーランドのすみからすみにつたわった。少年たちの父母は死んだ子が再生したとばかり、取るものも取りあえずはせあつまっては、抱きしめだきしめ接吻《せっぷん》の雨を降らした。
 新聞社は特大の活字もて、このめずらしき冒険《ぼうけん》少年の記事をかかげた号外を発行した。ニュージーランドの市街《しがい》は、少年連盟のために熱狂した。
 富士男は毎日毎夜、諸学校、諸倶楽部《しょクラブ》等の依頼に応《おう》じて、遭難《そうなん》てんまつの講演にいそがしかった。その会場はいつも満員で、市民はせめてその顔なりと一目見ようと、門外にたたずむもの何千人をもってかぞえられた。富士男が克明《こくめい》にしるした遭難日記が出版された。それは見る見る売り切れとなって、全国の少年はこの日記を読まないことを恥とした。日記は仏《ふつ》、独《どく》、英《えい》、日《にち》、の各国語に訳《やく》された。
 オ
前へ 次へ
全254ページ中251ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 紅緑 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング