「じょうだんじゃない、そればかりはかんにんしてくれ」
 サービスはとうとう、だちょうの食料はいっさい他の人の手を借らずに、自分ひとりでほりあつめることにした。かれは寒い風に吹かれて、ほおをむらさきにしながら毎日毎日雪をほり、木の根をほった。年少組がそれを見て笑うと、かれは傲然《ごうぜん》としていう。
「いまに見ろよ、このだちょうは天下の名馬になるから」
 七月九日には洞外の温度は零点以下十七度にくだった。だがこのときまきがすでにつきたので、一同は例のだちょうの森にはいって、まきをとることにきめた。それには例の工学博士バクスターの案で、食堂の大テーブルをさかさまに倒し、それを橇《そり》となしたので運搬《うんぱん》はきわめて便利であった。
 協同一致の冬ごもりは、かくして安らかにうちすぎた。八月の末から九月になると、日に日に温度がのぼりゆき、平和湖の水面に春らしい風が吹けば、木々の芽《め》もなんとなく活気づいて見える。
「もう少しあたたかくなったら、遠征《えんせい》にでかけようじゃないか」
 一同は毎日こう語りあった。日本人山田左門先生の地図は、かなりゆきとどいたものであるが、しかしそれはおもに西方の地図で、北南東はどうなっているか、肉眼で見た山田先生の地図以外に、望遠鏡《ぼうえんきょう》で新たな発見があるまいものでもない。
「もういっぺんくわしく調べよう」
 九月の中旬《ちゅうじゅん》からおそろしい風が吹いた。風は一週間もつづいたが、それがやむと天地にわかになごやかになり、春の光はききとしてかがやき、碧瑠璃《へきるり》の空はすみわたって、万物新たに歓喜の光に微笑《びしょう》した。
 長い半年の冬ごもりであった! 少年らは解放された小鳥のように勇みたって、あるいはまきをとり、あるいはさかなをつり、あるいは鳥をかりまわった。ゴルドンは火薬を倹約《けんやく》して猟《りょう》はおもにおとし穴、かけなわ、網《あみ》などを使用せしめたから、大きなえものはなかったが、小鳥や野うさぎの類を多くとることができた。
 ところがここに、一|椿事《ちんじ》がしゅったいした。ある日サービスは、例のだちょうに餌《え》をやっていると、モコウがそばへよっていった。
「サービス君、この鳥はもう食べてもいいでしょう、またのところがなかなかうまそうだ」
「じょうだんじゃない」とサービスはあわてていった。「これは天下の名馬になるんだ」
「そんなものは役にたちません、食べてしまうほうがいい」
 サービスとモコウがあらそっているのを見て、ほかの少年たちはサービスをからかった。
「サービス君、きみはこのだちょうを名馬になるなるというが、いっこうに名馬にならないじゃないか」
「あわれなる友よ」とサービスは妙な声でいった。「千里の馬ありといえども、伯楽《はくらく》なきをいかにせん、千里のだちょうありといえども、きみらには価値《かち》がわからない」
「文句をいわずに乗って見せたまえ」
「しからば乗って見せてやろうか、だちょうの快足とぼくの馬術を見て、びっくりしてこしを抜かすなよ」
 サービスはこういって、だちょうの首をしずかになでた。
「おい、しっかり走れよ」
 かれはまず、その首に手綱《たづな》をつけた、それから両眼に目かくしをかけ、バクスターとガーネットにひかせて、しずしずと広場の中央にあゆみよった。
 一同はかっさいした。サービスは得意満面《とくいまんめん》、やっと声をかけて、だちょうの背に乗らんとしたが、だちょうがおどろいてからだをゆすったので、つるつるとすべって、草の上にどしんと落ちた。
「やあ、どうした、天下の大騎手《だいきしゅ》」
 少年らはうちはやした。
「だまって見ておれ」
 サービスはかくかくとのぼせあがってどなりながら、五、六回|転落《てんらく》ののち、やっとだちょうの背中に乗った。
「どうだい」
 とかれは一同を見おろして微笑《びしょう》した。
「いよう、うまいうまい」
「これから走るところを見せてやるぞ、びっくりしてこしをぬかすなよ」
「見せてくれ」
「ようし」
 サービスは手綱《たづな》をとって、だちょうの目かくしをはずした。その一せつな! だちょうはかなたの森をさしてまっしぐらに走りだした。脚《あし》は長し、食には飽《あ》きたり、自由を得ただちょうの胸には、春風吹きわたり、ひづめの下には春の雲がわく。
「やあやあ、天下の名馬!」
 少年たちはあっけにとられてかっさいした。と同時に、サービスの声がはるかにきこえた。
「助けてくれい」
 一同はわれさきにと走った。サービスは林のなかに投げだされて、だちょうは影も形もない。
「おい、どうした」
 とガーネットがいった。
「うん」
「天下の名馬はどうした」
 とゴルドンがいった。
「うん」
「どうしたんだ」
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