ときモコウは大きな声でさけんだ。
「陸だ! 陸だ!」
「何をいうかモコウ」とドノバンは笑った。じっさい、べきべきたる濃霧《のうむ》の白《はく》一|白《ぱく》よりほかは、なにものも見えないのである。
「モコウ、きみの気のせいだよ」
「いやいや」
 とモコウは頭をふって、東のほうを指《ゆび》さした。
「陸です、たしかに」
「君の眼はどうかしてるよ」
「いや、ドノバン、霧《きり》が風に吹かれてすこしうすくなったとき、みよしのすこし左のほうをごらんなさい」
 このとき煙霧《えんむ》は風につれて、しだいしだいに動きだした。綿のごとくやわらかにふわふわしたもの、ひとかたまりになって地図のごとくのびてゆくもの、こきものは淡墨《うすずみ》となり、うすきものは白絹《しらぎぬ》となり、疾《と》きものはせつなの光となり、ゆるきものは雲の尾にまぎれる、巻々舒々《かんかんじょじょ》、あるいは合《がっ》し、あるいははなれ、呼吸《いき》がつまりそうな霧のしぶきとなり、白紗《はくさ》のとばりに夢のなかをゆく夢のまた夢のような気持ちになる。
 霧が雨になり、雨が霧になり、雨と霧が交互《こうご》にたわむれて半天にかけまわれば、その下におどる白泡《しらあわ》の狂瀾《きょうらん》がしだいしだいに青みにかえって、船は白と青とのあいだを一直線にすすむ。
「おう、陸だ」
 富士男はさけんだ。見よ、煙霧の尾が海をはなるる切れ目の一せつなに、東の光をうけてこうごうしくかがやける水平線上の陸影《りくえい》! 長さ約八キロもあろう。
「陸だ! 陸だ!」
 声は全船にあふれた。
「ラスト・ヘビーだ!」
 船はまっすぐに陸をのぞんで走った。
 近づくままに熟視《じゅくし》すると、岸には百|丈《じょう》の岩壁《がんぺき》そばだち、その前面には黄色な砂地がそうて右方に彎曲《わんきょく》している、そこには樹木がこんもりとしげって、暴風雨のあとの快晴の光をあびている。富士男は甲板《かんぱん》の上からしさいに観察して、いかりをおろすべきところがあるやいなやを考えた。だが岸には港湾らしきものはない、なおその上に砂地の付近には、のこぎりの歯のような岩礁《がんしょう》がところどころに崛起《くっき》して、おしよせる波にものすごい泡《あわ》をとばしている。
 富士男はそこで、船室にひそんでいた十一人の少年たちを、甲板《かんぱん》に集めることにした。
「おい、みんなこいよ」
 少年たちはおどりあがって喜んだ。まっさきにのぼってきたのは猟犬《りょうけん》フハンである。そのつぎには富士男の弟次郎、それから支那《しな》少年|善金《ゼンキン》と伊孫《イーソン》、イタリア少年ドールとコスターの十歳組、そのつぎにはフランス少年ガーネットとサービス、そのつぎにはドイツ少年ウエップとイルコック、おわりに米国少年グロースがのぼってきた。かれらはいちように手をあげて万歳《ばんざい》をとなえた。
 午前六時、船はしずかに岸辺についた。
「気をつけろよ、岩が多いから乗りあげるかもしらん、そのときにあわてないように、浮き袋をしっかりとからだにつけていたまえ」
 富士男は人々に注意した。するすると船は進んだ、とつぜんかすかな音を船底《せんてい》に感じた。
「しまった!」
 船ははたして暗礁《あんしょう》に乗り上げたのであった。
「モコウ、どうした」
「乗りあげましたが、たいしたことはありません」
 じっさいそれは不幸中のさいわいであった、船は暗礁《あんしょう》の上にすわったので、外部には少しぐらいの損傷《そんしょう》があったが、浸水《しんすい》するほどの損害《そんがい》はなかった、だが動かなくなった船をどうするか。
 船はなぎさまではまだ三百二、三十メートルほどもある、ボートはすべて波にさらわれてしまったので、岸へわたるには、ただ泳いでゆくよりほかに方法がない、このうち二、三人は泳げるとしても、十歳や十一歳の幼年をどうするか。
 富士男はとほうにくれて、甲板《かんぱん》をゆきつもどりつ思案《しあん》にふけっていた。とこのときかれはドノバンが大きな声で何かののしっているのをきいた。なにごとだろうと富士男はそのほうにあゆみよると、ドノバンはまっかな顔をしてどなっていた。
「船をもっと出そうじゃないか」
「乗りあげたのだから出ません」
 とモコウはいった。
「みんなで出るようにしようじゃないか」
「それはだめです」
「それじゃここから泳いでゆくことにしよう」
「賛成《さんせい》賛成」
 他の二、三人が賛成した。もう海上を長いあいだ漂流《ひょうりゅう》し、暴風雨《ぼうふうう》と戦って根気《こんき》もつきはてた少年どもは、いま眼前に陸地を見ると、もういても立ってもいられない。
「泳いでゆこう」
 とドイツのイルコックがいった。
「ゆこうゆこう
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