ルドンのように植物学にくわしくないが、これは博物館で見たことのあるストーンパインであるとわかった。ストーンパインの実のなかには楕円形《だえんけい》のかたい実《み》があって生のまま食うとかんばしい、またこれから油をとることもできる。
 樹間にはだちょう、のうさぎの類がいかにも愉快げに遊んでいる、二頭のラマが木蔭に休んでるのも見た。
 十一時ごろから川の行く手に一道のうっすりとした青い色が、しだいしだいに地平線上にあらわれた、それは海であった。
 この湾はサクラ湾とはまったくおもむきを異《こと》にし、サクラ湾のように一帯の砂地ではなく、無数の奇岩怪石《きがんかいせき》があるいは巨人のごとくあるいはびょうぶのごとくそこここに屹立《きつりつ》している、しかもこの岩と岩のあいだには冬ごもりに適当な洞穴がいくつもいくつもあった、もしぼくらが最初にここに漂着《ひょうちゃく》したなら、このところを住まいとなしたであろう。
 ぼくはこんなことを考えながら望遠鏡をとって東のほうを熱心にながめた、双眸《そうぼう》のふるかぎりはただ茫々寂々《ぼうぼうじゃくじゃく》たる無辺《むへん》の大洋である。
 そのあいだに一点の帆影《はんえい》も見えない、一|寸《すん》の陸影《りくえい》も見えない。
「やはり海ですね」
 とモコウはがっかりしていった。
「たぶんそうだろうとは思ったが……いよいよぼくらは絶海の孤島に漂着《ひょうちゃく》したことがたしかになった」
 とぼくはいった。そうしてぼくはこの湾に命名した。
「失望湾《しつぼうわん》」
 このときモコウは、あわただしくぼくの腕をとらえてさけんだ。
「あれはなんでしょう」
 モコウの指さすほうを望み見ると、水天|髣髴《ほうふつ》のあいだに一点の小さな白点がある。ぼくは雲のひときれだろうと思った、だがじっとそれを見ているが白点は少しも動かぬ、大きくもならなければ小さくもならぬ。
「山だ、だが山はあんなに白く見えるはずがない」
 ぼくらはなおもかわるがわる望遠鏡をとってながめたが、もう太陽は西にかたむいて海波に金蛇《きんだ》がおどれば、蒼茫《そうぼう》たるかなたの雲のあいだに例の白点が消えてしまった。
「波が太陽の光線を反射したのでしょう」
 とモコウがいった。
「そうだそうだ」
 と次郎もいった。だが僕にはどうしても単に光線の反射とのみは思えなかった。

 富士男の日記はこのページから厳封《げんぷう》されて読むことができないから、著者からさらにその夜のできごとを報道することにしよう。
 河口にボートをつないで、三人は、とちゅうで撃《う》ったしゃこを焼いて晩|飯《めし》をすました、六時は過ぎたが進潮《でしお》まではまだ三時間もあるから、モコウはストーンパインを採集《さいしゅう》して諸友へのおみやげにしようと森のなかへはいった。
 背中に重さを感ずるほどストーンパインをおうてボートへ帰ると、富士男と次郎のすがたが見えない。
「はてな、めずらしい草でも採集してるのだろうか」
 モコウがこう思いながら深い草を分けてゆくと、とつぜん大きな木の下から次郎の泣き声がきこえた。
 おや! と思うまもなく富士男のしかる声、
「なんということをしたのだ、それでおまえは良心にはじるから、ふさぎこんでいたのだね」
「ごめんなさい、兄さん、ぼくが悪かったのです」
「悪かったというだけではすまないじゃないか、みんながこんなに難儀《なんぎ》するようになったのも、おまえが悪かったからだ、こんなはなれ島にみんなを……」
「ごめんなさい、だからぼくはみんなのためにはいつでも命《いのち》をすてます」
「そうだ、おまえはおまえの罪《つみ》をあがなわなきゃならんぞ」
 モコウはがくぜんとしてそこを去ろうとした、がそれはすでにおそかった。次郎がおかした罪のしさいを、すでに、ことごとく聞いてしまったのだ。兄弟の永久の秘密を!
 人の秘密を立ち聞きするほど卑劣《ひれつ》な行為はない、しかも主人兄弟の秘密である。さりとて聞いてしまったうえは、もはやとりかえしがつかぬ。モコウは足をしのばしてボートへ帰り、ひとり出発の準備をしていると、やがて富士男がひとりもの思わしげに帰ってきた。
「次郎さんは?」
 とモコウがきいた。
「次郎はいまうさぎを撃っている」
 富士男はこういってボートにはいった。
「富士男さん!」
 モコウはとつぜん富士男の前にひざまずいた。
「ぼくはひじょうに悪いことをしました」
「なんだきみは?」
 富士男はおどろいてモコウの顔を見た。
「ぼくはいま木の陰《かげ》へゆきましたら、聞くともなしに次郎さんの告白《こくはく》を聞きました」
「聞いたか?」
 富士男の顔は、さっと青白くなった。
「聞きました、聞くつもりでなかったけれども聞きました。ですが富
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