のなかにはだれひとり不平をいうものはない。
だれよりもまっさきに働くのは富士男とゴルドンで、ふたりはいちばんむつかしい仕事を喜んでひきうけた、ふたりはサクラ号のキールをきって二つになしたるものや、前檣《ぜんしょう》後檣《こうしょう》の残部などのもっとも重いものを、エイエイかけ声をして運んだ。それに負けじとドノバンもグロースも帆桁《ほげた》を運んだ。バクスターはそれらのなかから、長い木材をえらんで川のなかにいれ、それをたてになし、短い木材を横に組んでたて十メートル、はば四メートルのいかだの骨をつくり、その上にサクラ号の甲板《かんぱん》や、他の板ぎれをくぎづけにして、りっぱないかだを完成した。
この工事がおわったのは五月二日である。翌三日からいよいよテントの貨物《かもつ》をいかだにつみはじめた。善金《ゼンキン》、伊孫《イーソン》、ドール、コスター、次郎の幼年組は軽いものを運び、重いものは年長組にまかせた。
協力一致《きょうりょくいっち》! 世界少年|連盟《れんめい》は、ほんのわずかの日数のあいだに、おとなの二倍以上の仕事を完成した。五月五日一同はいかだの上に集まった、ゴルドンは悵然《ちょうぜん》として、もはや残骸《ざんがい》のみのサクラ号をかえりみていった。
「船はなくなった、ぼくらはぼくらの運命を大自然に一任するよりほかはない、しかしぼくらはできるだけの手段をとらねばならぬ、それには万一ここを通航する船に、ぼくらの存在を知らしむるために、岩壁《がんぺき》の上に一本の信号旗を立てておきたいと思うがどうだろう」
「賛成《さんせい》賛成」
一同はただちに旗《はた》を立てた、それらのことがおわってから一同は、ふたたびいかだに集まった、潮はまだ早い、満潮《まんちょう》は八時半である、それまで待たねばならなかった。
「きょうは何日だ」
と富士男はいった。
「五月五日」
とだれやらが答えた。
「そうだ、五月五日、南半球の五月は北半球の十一月にあたる、それだけの差はあるが、しかし五月五日は非常にさいさきのよい日なのだ」
「どういうわけか」
とゴルドンはにこにこしていった。
「ぼくの故郷《こきょう》のじまんと誤解《ごかい》してくれたもうな、五月五日は日本においては少年の最大祝日なのだ。それはちょうど、欧米におけるクリスマスににたものだ、日本全国|津々浦々《つつうらうら》に
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