いってなだめるようにいった。ドノバンはしいて反対をしてみたものの、心のなかではそれよりほかに策《さく》がないことを知っていたので、沈黙《ちんもく》してしまった。
衆議《しゅうぎ》一決のうえはいよいよ貨物運搬《かもつうんぱん》にとりかからざるをえない。富士男の推薦《すいせん》でいっさいの工事は仏国少年バクスターに一任し、一同はその指揮《しき》にしたがうことにした。バクスターはへいそあまりものをいわないが、勤勉《きんべん》にして思慮《しりょ》深く、生まれながらにして、建築《けんちく》の才能があった。富士男がかれを推薦《すいせん》して工事の部長としたのはむりでない。
ものの順序《じゅんじょ》としてバクスターはまず川の右岸にテント小屋を建てることにした。川のほとりに繁茂《はんも》するぶなの木の枝と枝のあいだに、長い木材をわたして屋根の骨をつくり、それにテントを張り、そこに火器《かき》弾薬《だんやく》その他いっさいの食料を運んだ。そのつぎにはいよいよ船体の外皮《がいひ》をとかねばならぬ。船の外皮は銅板《どうばん》で、これは後日なにかの役にたつからていねいにはぎとった。しかしそのつぎには鉄骨《てっこつ》があり、船板があり、柱がある。それらをとくのはなかなかよういなことでない。
しかしさいわいなるかな、四月二十五日の夜、とつぜん大風吹きつのって、天地もためにくつがえるかと思われたが、夜が明けてから浜辺へいってみると、サクラ号はめちゃめちゃに破壊《はかい》されて、大小|数限《かずかぎ》りもない木片は、落花のごとく砂上にちっていた。一同はなんの労するところなくして、船をといたようなものだ。
その日から一同は毎日毎日木片を拾いあつめては、エッサモッサ肩にになって天幕《テント》に運んだ。読者よ、いかに勇気あるものといえども、かれらの年長は十六が頭《かしら》で、年少は十歳である。かれらの困苦《こんく》はどんなであったかを想像《そうぞう》してくれたまえ。
かれらはいずれも凛々《りんりん》たる勇気をもって、年長者は幼年者をいたわり、幼年者は年長者の命令に服し、たがいに心をあわせて日の暮るるも知らずに働いた。ある者は長い木材をてこにして重いものをおこすと、ある者は丸い木材をコロにして重いものをころがしてゆく、肩にかつぐもの、背にになうもの、走るもの、ころぶもの、うたうもの、笑うもの、そ
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