と戦いつつあるところは、すなわちこの群島の圏内《けんない》である。このへんの正月は日本の七月ごろに相当する、かれらはことごとくニュージーランドに住む商人や官吏《かんり》の子である。ニュージーランドの首府《しゅふ》オークランド市に、チェイマン学校という学校がある。この学校は寄宿制度《きしゅくせいど》であって、幼年から少年までを収容《しゅうよう》して、健全剛毅《けんぜんごうき》なる教育をほどこすのである。
 されば全校の気風は勇気にとみ、また慈愛《じあい》と友情にあつく、年長者は年少者を、弟のごとく保護《ほご》し、年少者はまた、年長者を兄のごとく尊敬《そんけい》する。
 がんらいこの一帯は英国の領地《りょうち》であるが、群島のうちには、仏領《ふつりょう》もあり米領《べいりょう》もある。日本はこのうちの一島をも有せぬ、しかし進取《しんしゅ》の気にとむ日本人は、けっしてこの島をみのがすようなことはなかった。商人はどしどし貿易《ぼうえき》の途《みち》をひらく、学者工業家漁業家も、日本からゆくものしだいに増加しつつある。
 大和富士男と次郎の父は、日本から招聘《しょうへい》せられた工学者で、この島へきてからもはや、二十年の月日はすぎた、かれは温厚《おんこう》のひとでかつ義侠心《ぎきょうしん》が強いところから、日本を代表する名誉《めいよ》の紳士《しんし》として、一般の尊敬《そんけい》をうけている。その子の富士男はことし十五歳、学校はいつも優等《ゆうとう》であるうえに、活発《かっぱつ》で明るく、年少者に対してはとくに慈愛《じあい》が深いところから、全校生徒が心服《しんぷく》している。弟の次郎はやっと十歳で、こっけいなことといたずらがすきであるが、船が本土をはなれてから急にだまりこんで、ちがった人のようになった。
 このふたりの兄弟を主人として、忠実につかえているのは、モコウという黒人の子である。モコウは両親もなき孤児《こじ》で船のコックになったり、労役《ろうえき》の奴隷《どれい》になったりしていたが、富士男の父に救われてから幸福な月日をおくっている。
 ところが人心《じんしん》はその面のごとし、十人よれば十人ともその心が同一でない、同じ友だちのドノバンは、なにからなにまで、富士男に反対であった。日本のことばにアマノジャクというのがある、他人が白といえば黒といったり、他人が右へいこう
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