」
「待ってくれたまえ」と富士男は、少年どもの中へわってはいった。
「そんな無謀《むぼう》なことをしてもしものことがあったらどうするか」
「だいじょうぶだ、ぼくは三キロぐらいは平気《へいき》だから」とドノバンがいった。
「きみはだいじょうぶでも、ほかの人たちはそうはいかんよ、君にしたところでたいせつなからだだ、つまらない冒険《ぼうけん》はおたがいにつつしもうじゃないか」
「だが、向こうへ泳ぐくらいは冒険《ぼうけん》じゃないよ」
「ドノバン! きみにはご両親がある、祖国がある、自重《じちょう》してくれたまえ」
「だがこのままにしたところで、船はだんだんかたむくばかりじゃないか、だまって沈没《ちんぼつ》を待つのか」
「そうじゃないよ、いますこしたてば干潮《かんちょう》になる、潮が引けばあるいはこのへんが浅くなり、徒歩《とほ》で岸までゆけるかもしらん、それまで待つことにしようじゃないか」
「潮《しお》が引かなかったらどうするか」
「そのときには別に考えることにしよう」
「そんな気の長い話はいやだ」
ドノバンはおそろしいけんまくで、富士男の説に反対した。がんらいドノバンはいかなるばあいにおいても、自分が第一人者になろうという、アメリカ人特有のごうまんな気性《きしょう》がある。かれはこのために、これまで富士男と衝突《しょうとつ》したのは、一、二度でなかった、そのたびごとにドノバンのしりおしをするのは、イルコック、ウエップのふたりのドイツ少年と、米国少年グロースであった。
かれらは航海のことについては、富士男やゴルドンほどの知識がなかった。だから海上に漂流《ひょうりゅう》しているあいだは、なにごとも富士男の意見にしたがってきたが、いま陸地を見ると、そろそろ性来《せいらい》のわがままが頭をもたげてきたのである。
かれら四人は、ふんぜんと群《む》れをはなれて甲板《かんぱん》の片すみに立ち、反抗《はんこう》の気勢《きせい》を示そうとした。
「待ってくれたまえドノバン」
と富士男はげんしゅくな声でいった。
「ねえドノバン! きみはぼくを誤解《ごかい》してるんじゃないか、ぼくらは休暇《きゅうか》を利用して近海航行を計画したときに、たがいにちかった第一条は、友愛を主として緩急《かんきゅう》相救《あいすく》い、死生をともにしようというのであった、もしわれわれのなかでひとりで単独行為《
前へ
次へ
全127ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 紅緑 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング