るえている。
「先生!」
かれはふたたびいったが涙が喉につまってなにもいえなくなった。
「校長先生!」
こういうやいなやかれは急に声をたててすすりあげ、その太い腕《かいな》を目にあててしまった。講堂は水を打ったようにしずまった、しぐれに打たるる冬草のごとくそこここからなき声が起こった、とそれがやがてこらえきれなくなって一度になきだした。漢文の先生は両手で顔をかくした、朝井先生は扉《ドア》をあけて外へでた、他の先生達は右に傾き左に傾いて涙をかくした。
校長はしずかに講壇に立った。低いしかも底力のある声は、くちびるからもれた。
「諸君! 不肖《ふしょう》久保井克巳《くぼいかつみ》が当校に奉職してよりここに六年、いまだ日浅きにかかわらず、前校長ののこされた美風と当地方の健全なる空気と、職員諸氏の篤実とによって幸いに大瑕《たいか》なく校長の任務を尽くし得たることを満足に思っています、今回当局の命により本校を去り諸君とわかれることになったことは実に遺憾《いかん》とするところでありますが事情まことにやむを得ません。おもうに離合集散《りごうしゅうさん》は人生のつね、あえて悲しむに足らざることで
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