て食わないと同じことだ、ぼたもちは目に見るべきものでなくして、口に食すべきものだ、書籍は読むべきものでなくして行ないにあらわすべきものだ、いもは浦和の名産である、だが諸君、同じ大きさのいもの重さが異《こと》なる所以《ゆえん》を知っているか、量においては同じである。重さにおいて一|斤《きん》と二斤の差があるのは、肥料の培養法《ばいようほう》によってである、よき肥料と精密な培養はいもの量をふやしまた重さをふやす、よき修養とよき勉強は同じ人間を優等にすることができる、諸君はすなわちいもである。
 この訓話については「人を馬鹿にしてる。おれ達をいもだといったぜ、おい」と不平をこぼした者もあった。
 普通の教師は学校以外の場所では中折帽《なかおれぼう》をかぶったり鳥打帽《とりうちぼう》に着流しで散歩することもあるが、校長だけは年百年中《ねんびゃくねんじゅう》学校の制帽《せいぼう》で押し通している、白髪のはみだした学帽には浦和中学のマークがいつも燦然《さんぜん》と輝いている。校長のマークもぼくらのマークも同じものだと思うと光一はたまらなくうれしかった。
 とここに一大事件が起こった。ある日学校の横
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