ノの音は樹々の葉をゆすって涼風《すずかぜ》に乗ってくる。
「お父さんのある者は幸福だなあ、ああしてぼうんぼうんピアノをひいて楽しんでいる」
 かれはがっかりしておけをかついだ。つかれた足をひきずって二、三|間《げん》歩きだすとそこでひとりの女の子にあった。それは光一の妹の文子《ふみこ》であった。かの女《じょ》は尋常《じんじょう》の五年であった。下《しも》ぶくれのうりざね顔で目は大きすぎるほどぱっちりとして髪を二つに割って両耳のところで結び玉をこさえている。元禄袖《げんろくそで》のセルに海老茶《えびちゃ》のはかまをはき、一生懸命にゴムほおずきを口で鳴らしていた。
「今晩は」とチビ公は声をかけた。
「今晩は」と文子はにっこりしていった。がすぐ思いだしたように、
「青木さん、兄さんがあなたを探してたわ」
「兄さんが?」
「ああ」
「何か用事があるんですか」
「そうでしょう私知らないけれども」
 文子はこういってまたぶうぶうほおずきをならした。
「急用なの?」
「そうでしょう」
「なんだろう」
「会えばわかるじゃないの?」
「それはそうですな」
「兄さんがいま、家にいるでしょう、いってちょうだ
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