っているだろうと思った。
 かれは微笑した、それはいかにも自然に腹の中からわきでたおだやかな微笑であった。いつもかれはこのところでいくどか躊躇《ちゅうちょ》した、かれは生蕃をおそれたのであった、がかれはいま、それを考えたとき恐怖《きょうふ》の念が夢のごとく消えてしまった。でかれは堂々とらっぱをふいた。
 町の角に……はたして生蕃が立っていた。
「やい」と生蕃は血走った目でチビ公をにらんだ。
「おまえに食わせる豆腐《とうふ》はないぞ」とチビ公は昂然《こうぜん》といった。
「なにを?」
 生蕃はびっくりして叫んだがつぎの句がつげなかった、かれはいつも涙《なみだ》ぐんでぺこぺこ頭を下げるチビ助《すけ》が、しかも昨夜かれの伯父がおれの父をなぐったことを知ってるチビ助が、復讐《ふくしゅう》のおそれも感ぜずにいつもより勇敢《ゆうかん》なのを見ると、実際これほどふしぎな現象はないのであった。
「待てッ」
「待っていられないよ、明日《あす》の朝またあおうね」
 チビ公はずんずん去ろうとした。
「こらッ」
 生蕃の手がてんびん棒にかかった、とこのとき電柱の陰《かげ》から声が聞こえた。
「阪井、よせよ」

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