それもできずにむやみと門をたたくのはいかにも厚かましいことだと考えたりした。
 やっとのことで書生の声がした。
「どなた?」
「豆腐屋の青木ですが、母が急病ですからどうかちょっとおいでを願いたいんです」
「はああ――」とみょうに気のぬけた返事が聞こえた。「豆腐屋の……青木?」
「はい」
「先生は風邪気《かぜけ》でおやすみですから……どうですかうかがってみましょう」
「どうぞお願いします、急病ですから」
 千三は暗い門前でしずかに耳をそばだてた、奥で碁石《ごいし》をくずす音がちゃらちゃらと聞こえる。
「なんだ、碁を打ってるのにおやすみだなんて」
 こう千三は思った。とふたたび小さな窓が開いた。
「ただいま伺《うかが》います」
「ありがとうございます」と千三は思わず大きな声でいった。
「どうぞ、よろしく、ありがとうございます」
 千三は一足先に家へ帰った、母はまだ正体《しょうたい》がない。
「冷えたんだから足をあたためるがいい」
 こう伯父がいった。伯母はただうろうろして仏壇に灯《ひ》をともしたりしている、千三はすぐ火をおこしかけた。そこへ車の音がした。
「どうもごくろうさまで……どうぞ」
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