たくそれと反対であった。
 最初の一、二年は生徒が少なかったが、年を経るにしたがって次第に増加した。かれには月謝の制定がない、五円もあれば五十銭もある、米や豆やいもなどを持ってくるものもある、独身の先生だからだというので魚を贈る人がいたって少ない、そこで先生はおりおり一|竿《かん》を肩にして河へつりにゆく、一尾のふなもつれないときには町で魚を買ってそのあぎとをはりにつらぬき揚々《ようよう》として肩に荷うて帰る、ときにはあじ、ときにはいわし、時にはたこ、ときには塩ざけの切り身!
「先生! つれましたか?」と人が問えば先生は軽く答える。
「うん」
「はりにひっかかってるのはかまぼこじゃありませんか」
「かまぼこは魚なり」
 千三は子どものときからなんとなく黙々《もくもく》先生がこわかった。しかしかれとして学問をするにはこの私塾《しじゅく》より他にはない。
 翌日千三は夕飯をすまして黙々先生をたずねた、そこにはもう五、六の学生がいた、それは中学の二年生もあれば五年生もあり、またひげの生《は》えた人もあり、百姓もあれば商家のでっちもある。千三がはいったときちょうど小学校の教師がむずかしい漢文を
前へ 次へ
全283ページ中144ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 紅緑 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング