だがふたりのむつまじさはよその見る目もうらやましいほどであった。文子は心の底から兄を尊敬していた、というのはかの女は学校から帰って兄に英語や漢文の下読みをしてもらう、それには一つもあやまりがないからである。かの女の友達もことごとく光一を好きであった、かの女等が文子のもとへ遊びにくると、文子は兄の書斎を一覧させる、大きな書棚に並べられた和洋の書籍を見てかの女等はいずれも驚歎《きょうたん》の声をあげる。兄がほめられるのは文子に取って無上の喜びであった。
 ある日文子は雑誌を買おうと思ってがま口を懐にして外へでた、雑誌屋の店頭に男女の学生が群れていた。この店は二年前までは至極《しごく》小さな店で文房具少しばかりと絵本少しを並べていたのだが、見る見る繁昌《はんじょう》しだして書籍や雑誌がくずれるまでに積まれてある。やせた神経質らしいおかみさんはひとりのいつも眠そうにしている小僧をひどくどなりつけてお客の手先と商品とを監視させているが、それでも毎日一冊ぐらいは盗まれるのである。
 学生の中には毎日決まって雑誌を読みにくるのがある、それが一冊でも買うのかと思うと一冊も買わない、二時間も立って一とおり読みおわると翌日また別なのを読みにくる、こういうのはただ読んでゆくだけだから罪が軽いが、ひどいのになると五、六人団結してあれやこれやとひっくりかえしてその混雑にまぎれてふところへかきこむ。大抵《たいてい》はその顔を知っているものの、ことをあらだてるとかえって店の人気がなくなる。そこでおかみさんの癇癪《かんしゃく》が小僧の頭に破裂する。
「おまえがぼやぼやしてるからだよ」ぴしゃりッ。
 小僧だって朝から晩までどろぼうのはり番をするということはなかなかつらい、かれは十七になるが、十三か十四ぐらいにしきゃ見えない、毎日毎日頭をなぐられるから上の方へ伸びないのだとかれ自ら信じている。
 文子《ふみこ》は新刊の少女雑誌と英語の雑誌を買った、それから書棚を見ると漢文の字典があったのでそれを引きぬいた、それでやめにしようと思ったがこのときかの女は現代名画集というのを見た、それは叢書《そうしょ》の第一巻でかの女がつねにほしいほしいと思っていたのであった。かの女はそれもひきぬいておかみさんにいった。
「これだけでいくらですか」
 おかみさんはこれが柳家《やなぎけ》の令嬢だとは気づかなかった。
「五円六
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