かった。癪《しゃく》にさわるが仕方がない。
 茶の間にはさわやかな朝日が一ぱいに射しこむ。飯びつやなべからあがる湯気はむつまじげに日光と遊んでいる、父はにこにこしてふたりの子を見くらべる、母は三人のお給仕にいそがしく自分で食べるひまもなかった。かの女は光一と文子の食力を計算する事を決してわすれなかった、今日はいつもより多く食べたといっては喜び少なく食べたといっては病気ではないかと心配する。大抵《たいてい》光一は五杯の飯を食べるが文子は三杯であった、5対3ではあるが、光一の方はスピードが速いのでほとんど同時におしまいになる、それから一緒《いっしょ》に家をでる。
「おまえ後からおいで」
「兄さんは男だから後になさいよ」
 この争いは絶ゆることがない、二、三年前までは一緒に肩を並べていったものだが、このごろではふたり揃うてゆくのはきまりが悪い。特に光一に取っては迷惑至極《めいわくしごく》であった。
「きみの妹は綺麗だね」
 こう友達にいわれてからかれはたとえ親父《おやじ》の葬式の日でも妹と一緒には歩かないと覚悟を決めた。
 だがかれは妹が好きであった、妹はすらりと姿勢がよく、おさげの脳天《のうてん》に水色のちょうちょうのリボンをつけているが、それが朝日に輝いていかにもかわいらしい、かれはまた文子の長いえび茶のはかまやその下から見えるまっすぐな脚《あし》と靴の恰好《かっこう》が好きであった。文子は洋服よりも和服が似合う。文子はまただれよりも兄さんが好きであった、野球試合のあるときにはかの女はいつも応援旗を持ってでかけた、兄さんが負けたときには家へ帰って夕飯も食べずに寝てしまうのでいつも母にわらわれた。
 そのくせふたりはおりおり喧嘩《けんか》をした、文子の一番嫌いなことは顔がふくれたといわれることである。
「おい、おまえの頬《ほ》っぺたがだんだんふくれてきたね」
「いいわ」
「後ろから見るとほっぺたが耳のわきにつきでてるぞ」
「いいわ」
「ぼくが八百屋の前を通ったらおまえの頬《ほ》っぺたを売ってたよ、買ってこようと思ったら丸いなすだった」
「いいわ、兄さんだって鼻の先にニキビがあるじゃないの?」
「これはじきなおるよ」
「口のはたに黒子《ほくろ》があるから大食いだわ」
「食うに困らない黒子《ほくろ》なんだ」
 喧嘩のおわりはいつも光一が母に叱《しか》られることになっている。
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